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3月 20

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「 美 老 人 」 をめざす

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NPO法人シーズネット理事長 奥田 龍人

JR北海道の車内誌は、特急などを利用した時の楽しみの一つである。特に長く続いている小檜山博さんのエッセイが大好きで、人間の情緒を喜怒哀楽の波で洗うような文章にいつも泣き笑いしている。

その3月号のエッセイのタイトルは「美老人」。一瞬、「何?」と思うタイトルだが、小檜山さんは「美男子、美少年、美夫人、美少女、美婦人、美青年などあるのに、なぜか美老人という言葉がないのである」と嘆き、「考えてみればぼく自身もこれまで老人と美を結びつけるという発想はなかったことはたしかだ。若いときは老いるのがいやだったのに、年をとったいまになって急に老人に美をくっつけるのは、いかにも見苦しい」と振り返りもする。そして自分が僻みっぽくて見た目が美しくないことを強調したうえで、「美老人という言葉がないということは老人はどうやっても美しくないということかと、言いがかりの一つもつけてみたい気分だ」と拗ねる気持ちを巧みに描く。

小檜山さんが自分を美しくないと言っているのはもちろん卑下する表現で、ご本人に会ったことのある方はおわかりだろうが、深みがありダンディな顔立ちである。そして「人間の美しさは見た目だけではなく、心のありよう、思想、言葉づかい、立ち

居振る舞い、他人への思いやりも含んだ総合の美と考えれば、美しい老人になるにはどうしたらいいかを探る意味での美老人という言葉があってもいい気がするからである。美老人という文字がないならぼくがつくる。意味は早い話が、みっともなくは生きないようにして他人を思いやる高潔な心に向かおうと努力する老人のことと考える」と畳みかける。

作家の感性はすごいなと思う。人間の美しさをたった一行で表現してしまい、それがすとんと胸を打つのだから。その言でいえばシーズネットの会員もみな「美老人」であるとつくづく思う。和気あいあいとしたサークル活動、思いやりあふれるサロン活動にはそのような美を感じる。シーズネット活動が「美老人」を目指すきっかけになれたらありがたい。

もっとも小檜山さんのことだから、結語は「だがこの単純で普通のことが相当めんどうに思える、自分で言い出しておいて情けないことだが、ぼくは美老人にはなれそうもない」と韜晦するのだが。

(注)小檜山さんは岩見さんとも親交があり、シーズネット10周年記念市民講座では鼎談していただきました。

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