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豊寿語録 -2004

岩見太市遺稿集『豊寿語録』-2004-

岩見太市

少子高齢社会の新たなシニア人生の生き方、考え方・・・・
さまざまなシニア人生を取り巻くドラマを、皆様と一緒に考えたいエッセーです。ご意見・ご感想をお待ちしています。

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新たな居場所を見つけませんか!

(通信2004-04月号から)

今年もまた春が巡ってきました。春は異動の季節でもあります。職場を去った人、子供が巣立っていった人、新しい職場に身を投じた人・・・。さまざまな人が別れと出会いを体験する春の訪れです。そんな中で親元から子供たちが離れて行ったり、定年などで職場を去ったシニア層の方々も大勢おられることと思います。

「これからの人生は煩わしさを避けて、日々を楽しく過ごしたい」の安堵としておられる方も多いと思いますが、多分そのような心境は長続きしないと断言できます。20年以上のシニア生活はそんなに生易しいものではありません。近い将来、不安、寂しさ、心配ごとなどが胸を締めつけるような心境に陥ることは多くのケースが物語っています。私たちシーズネットは今、60代前半以下の世代に将来を見据えた生き方を再構築して頂くためのプログラムを考えているところです。従来の価値観で解決できない現実が急ピッチで訪れようとしているのです。夫婦で楽しく過ごしたい、趣味に没頭したい、何も考えずにのんびりと生きたい、等などを考えておられる方、シニア人生はそんなに甘いものではありません。子育てや仕事人生とはまた異質の豊かなシニア人生を送るための積極的な生き方をお互いに考え、実行していく過程で新たなグランドデザインを一緒に描きませんか!春の訪れを、その一歩を踏み出す時期にしたいものです。

助け合ってこそ、シニア人生の自立

(通信2004-05月号から)

80歳を超えたある一人暮らしの会員さんが「井戸端会議に参加しておしゃべりしたいのですが体が不自由で事務所に行けません。ほっと安心クラブで送迎して頂けませんか?」との問い合わせ。送迎をして、その方の自宅を見るとドアが開きにくくなっていたため、工務店に勤務した経験のある支援者が簡単に補修すると、「ありがとうございます。シーズネットの会員になって良かった!いろいろお話を聞いたり、おしゃべりもでき、お友達にも会えました」ととても喜んでおられる表情が印象的でした。北海道でも、京都でも、80歳を超えた会員の方々が事務所に来られる光景に出会うことがあります。常日頃は家の中でテレビやラジオから流れる機械音を聞くだけですが、シーズネットの事務所には生の声が飛び交っています。

例え体が弱くなっても家に閉じこもるのではなく、外に出て、人との会話を楽しむことはとても大切なことだと痛感すると同時に、シーズネットの活動をはじめて良かった、と実感します。シーズネット会員はほっと安心クラブの支援者でもあり、利用者でもあるのです。私たちは誰でも何れはひとりで生活することができなくなる時期が訪れるのです。生ある動物としての当然のことだと思います。そんな時、仲間としてお互い誰かの助けがあれば、安心して生活を維持することができる筈です。「ほっと安心クラブ」を創設した背景には、そのようなシニア人生の必然性があるからです。何かに困ったとき、フッとその存在を思い起こして、気軽に「助けて!」と言い合えるようなシーズネットにしたいものです。

介護予防とシニア人生

(通信2004-06月号から)

介護保険制度の見直し議論が盛んですが、そのポイントの一つに軽介護者(要支援や要介護1)の増加と更新時の認定調査で重度化になる比率が高いとの指摘がなされています。介護保険サービスが自立支援に結びついていないということです。そのために、今後の基本的な方向として介護予防やリハビリに力をいれなければならない、との方向が示され、最近では保険者である市町村は元気な高齢者に介護予防のために筋力トレーニングを導入するところが増えています。元気なシニア世代はとにかく介護予防をすべきだとの議論です。如何にも行政的な発想だと考えるのは私だけでしょうか?

かつて老人病院のソーシャルワーカーをしていた頃、入院患者さんに趣味活動のボランティアさんの力を借りて、詩吟や書道、俳句などの活動をして頂いていたことがあります。他方でリハビリ専門スタッフによるリハビリ活動も行なわれていました。ところが、趣味活動には車椅子を押して笑顔を見せながら参加される患者さんが、リハビリには顔をゆがめて参加されているギャップにびっくりしたことを思い出しました。

リハビリが成功するかどうかの基本は本人の自立意識であり、意欲が前提になることを肌で感じたからです。

高齢社会におけるシニア人生は防衛的な視点で捉えるのではなく、積極的な生き方を作ることこそ、大切だと常々感じています。そして積極的に生きるために健康を大切にしたい、という発想こそ大切ではないでしょうか。どうも目的と手段が逆転しているように感じてなりません。

そのような生き方が確立されておれば、もし要介護になったとしてもリハビリに力を入れて活動を再開したいとの意欲が沸くものだと痛感しています。シーズネットはそのための生活設計を描く努力を続けたいと念じています。

燎原の火

(通信2004-07月号から)

もう30年前になりますが、信州真田町で知的障害者の施設づくりを計画したとき、個人的には財産も資産もないため一口千円の会員制での運動をはじめたことがあります。その会員募集を故郷京都で始め、当時の信用金庫仲間が支援して大きな輪が広がったとき、地元京都新聞の記事の見出しが「燎原の火」だったのを思い出しました。

去る6月5日(土)の午後、三重県四日市市にある四日市文化会館で「シーズネット三重」の設立総会に参加させて頂いたとき、その言葉がフッと浮かんできたのです。

特に50代以上のシニア人生が大きく変化する中で、新たなライフスタイルづくりをするシーズネットを札幌で立ち上げたのが2001年4月。僅か3年前のことです。その間、北海道内では会員数が800名を超え旭川、北見、空知、函館などに支部ができ、翌2002年には京都そして今回三重と急速に広がっている現状がその言葉の背景にあったからです。

家族関係が核家族化がますます進み、町内会など身近な地域での人間関係の価値観が大きく変わる中で「寂しさ」を抱えながら長いシニア人生を送られている方があまりにも多く、新たな人と人との結びつきや社会参加活動などのコーディネートや場づくりのニーズは極めて高いと思います。

ところが、そのような受け皿がわが国の地域社会には存在せず、シーズネットがその役割を果たそうとしていることの評価が認められつつあると感じています。

その社会的役割をキチッと認識しながら活動の輪を広げる努力を会員の方々と一緒に続けたいと念じています。

終の棲家探しの旅!

(通信2004-08月号から)

主催者自身がびっくりした札幌での「安心できるシニアの住まい」シンポジウムでした。

北海道新聞で「さっぽろシニアの住まい情報誌」が発刊されるとの記事が掲載されて以降、シーズネット事務所の電話は鳴りっ放し。そして日当日の経済センタービルでのシンポジウムは300名を超える参加者で、会場の雰囲気は熱気に包まれていました。皆さん、安心できる終の棲家探しをしておられる、という実感が胸を締めつけました。シーズネット京都でも学生マンションの一部フロアーをシニア住宅に改造する話が持ち上がり、そのプロジェクトが動き始めています。いよいよ本格的な高齢社会の到来。年金がどうなるか、との不安も払拭できませんが、何より息子や娘に頼れず、虚弱になっても病院や施設での暮らしも不可能になりつつあるこれからの時代背景で、子育てや仕事人生が終わったあとの長い人生を豊かに過ごすにはどうすればよいのか、その思考の中で避けて通れないのが住まいのテーマ。国のアンケートでも現状の住まいで住み続けるか、一部バリアフリーにして住み続けるか、どこかの時点で住み替えるか、を質問していますが、住み替え希望の一番比率が高い結果が出ています。しかも、終の棲家のポイントはハードよりソフト。即ち心身の異常、財産管理、死後のことなどさまざまな困りごとが発生した時に支援できる仕組みやネットワークの存在が根底にあるかどうか・・・、など等。あなたもこのテーマについて一緒に取り組んで見ませんか!

天然サウナと天然クーラーの夏

(通信2004-09月号から)

札幌から伊丹空港に降りた途端、ムワーッとした全身を覆うどんよりした熱気。気温の高さより湿気の高さの方が堪えます・・・。夏の天気予報は気温だけではなく湿度も含めて予報してほしいものです。5分も経たないうちに、京都の街中を歩いているとたちまち首から全身に汗がしたたり落ち、全身の気だるさと頭痛が襲ってきます。今年はそのような本州の夏でしたが、9月に入ってもまだ残暑厳しい日々が続いていることと思います。北の国は短い秋の訪れですが。

ヒートアイランド現象と呼ばれる特異な暑さの中で、シニアの方々はどのように過ごしておられるのだろうか?盆地に囲まれた京都では風がないと街全体の空気がよどみ、街全体がサウナ風呂のような状態。気温は高くても湿気の低い札幌は、真夏でも室内にクーラーは不要で、街全体が天然クーラーのように思えます。但し、今年の夏は北海道も本州に劣らない酷暑でエアコンがないだけに余計蒸し暑さを感じましたが・・・。

サウナの中では短時間過ごすことができても、長時間過ごすことはできません。どうしてもクーラー主体の夏の暮らしになり、高齢者の中にはエアコンの効いた図書館やスーパーマーケットに設置されたテーブルで昼食をしながら1日過ごされている光景も見られるとか・・・。夏場の新しい地域の溜まり場としてエアコンが心地よく効くスーパーや図書館の休憩コーナーが認知されつつあるのでしょうか。

雪に閉ざされた北の冬、そして天然サウナに閉ざされた京の夏・・・どちらにしても、あまり動きたくない季節です。健康を保つためにも、また生きがいづくりのためにも、私たちシニア層がそのような時期に、お互いの交流も含めてそれぞれの地域で活気のある生き方を模索するのも、これからの課題になりそうです。

[シーズネット人生 1.2.3] 12ケ条

(通信2004-10月号から)

豊かなシニア人生のキーワードとして「仲間づくり」と「役割づくり」を推進している我がシーズネットも4年目に入っています。

過去の活動を振り返ると同時に、今後の方向性も考慮しながら、その達成度合いのチェックリストを試みました。第1ステップ<安定期>◇暇な時にフラッと行く場所がある。◇室内用と室外用の2つの趣味を持っている。◇いつでも電話をしたり、茶飲みができる友だちがいる。◇月平均3回以上、シーズネットの活動に参加している。

第2ステップ<満足期>◇目的をを持って外出する場がある。◇受身だが社会的な活動に時たま参加している。◇気軽に互いの家を訪問できる友だちがいる。◇シーズネットでリーダー的な役割を果たしている。

第3ステップ<充実期>◇家族以外で、自宅の鍵を預けられる友だちがいる。将来も、痴呆など意思能力が低下しても後見人がいる。◇積極的に社会と関わる活動に参加している◇前向きに生きるテーマを持っている。

試みとして、シーズネットの活動に上記のような3段階の目標を設定してみました。

自分では厳選したつもりですが、自己チックの結果は如何ですか?

シーズネットとしても、上記を参考にランクアップできるような施策を研究、実践したいと思っています。

元気なときこそ・・・

(通信2004-11月号から)

A男さんは80歳。元公務員で退職後も青少年指導員など地域の中で活躍していましたが、リタイアした後は妻のB子さんと好きな旅行を楽しむ恵まれた老後を送っていました。しかも娘さん一家と二世帯住宅に住み、世間から見て理想的な老後の生活環境だと思われていました。その一家に変化が起こったのはA男さんがアルツハイマーにかかってからでした。

専従主婦としてずっとご主人の世話をしてこられたB子さんが介護の担い手となられましたが、アルツハイマーは急速に進行して次第に歩行も困難になり、時折失禁することからB子さんは紙おむつをさせるようになりました。しかし、いくら痴呆になったとしてもA男さんには人間としての尊厳が残っており、紙おむつに対して拒否をし続けました。清潔感と介護の手段として紙おむつをさせたいB子さんとそれを拒否するA男さん。そこに娘さんも巻き込んで家族関係の争いとそれに伴うストレスが一家を襲い、介護のあり方をめぐって恵まれた家族関係が一転して全員の心身を疲労といがみ合いの世界に落とし込んでいきました。

老後は老夫婦主体の生活だっただけに夫婦以外の人間関係がないため、ストレスを発散させる場も愚痴を話す相手もなく、泥沼にはまり込んでいくような苦悩の戦いでした・・・。

これからの時代、家族関係に恵まれた老後だと言っても家族関係だけに頼る落とし穴を、そこに垣間見るような気がします。元気なときは旅行や釣りなど趣味を楽しめばいい、という想いが高齢者の一般的な意識だと思います。家族の支えがある場合はそこに安心感を抱いてしまいます。その危険性を、この事例は訴えているような気がしてなりません。

老後こそ、人間関係の広がりと地域ネットワークを大切にし、それを元気なときにこそ作っておく必要性を感じませんか?

去る人・来る人

(通信2004-12月号から)

「行く年・来る年」・・・早いもので、今年も師走がやってきました。加齢とともに日々の流れの速さを感ずる今日この頃です。「仲間づくり」を中心にしたシーズネットの活動も北海道は4年目、京都は3年目ですが、その間退会した会員、新規に加入される会員の入れ替えが起こっており、その背景にはさまざまな想いや人間関係があると思います。さまざまな活動を通じて人間関係の広がりと深み、その半面で新たなしがらみや憎しみ、嫌悪感のような感情が出てくることもあるでしょう・・・。

そのようなプロセスでひとつ嬉しいことはグループ活動などで急に参加しなくなった会員に対して「体が悪いの?」「どうかしたの?」と言った一寸した心配りや声かけが芽生えはじめたことは大きな前進ではないでしょうか。

お互いに意識し合うことによった相互の認識が生まれ、シーズネットの仲間としての連帯感が生まれつつあるような気がします。シーズネットの活動は元気な時だけではなく、体が弱くなっても加入していることによって安心感が生まれるような活動団体を指向している訳ですから・・・。

そのような雰囲気なり環境がシーズネット活動全体に広がってくれば、去る人は減少し、またそのような人が出てくれば「どうしたの?」「何かあったの?」という気軽な声かけが自然に出てくるのではないでしょうか。シニア層の多くは心の底に孤独感、寂しさを抱えているのです。そのような心境を覆い隠すのではなく、自然に発露できるような雰囲気づくりこそ、必要なことなのです。今年1年のさまざまな出会いに感謝し、新年がより多くの、そして深い出会いの年になることを祈念しつつ・・・。

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