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豊寿語録 -2010

岩見太市遺稿集『豊寿語録』-2010-

岩見太市

少子高齢社会の新たなシニア人生の生き方、考え方・・・・
さまざまなシニア人生を取り巻くドラマを、皆様と一緒に考えたいエッセーです。ご意見・ご感想をお待ちしています。

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

シーズネット創設10周年を迎えて

(通信2010-1月号から)

新年明けましておめでとうございます。

今年は特にシーズネット活動が芽吹いて10年目という記念すべき年になります。併せて今回は通信発行100号という記念すべき月になり、シーズネット活動も歴史の節目を迎えることになります。

10年前、ぼくが札幌市社会福祉協議会の職員として地域を回ったときに感じた「身体的には健康なのに、心の中に寂しさや孤独感、不安感を抱きながら、長いシニア人生を暮らしておられる方の多い」ことが気になり、当事者の視点で新たなシニア人生のグランドデザインを描くことを目的として立ち上げたことを、昨日のことのように思い出します。

2001年2月4日(平成12年度)に札幌市社会福祉総合センターの会議室に18名の設立発起人が集まり、NPO法人シーズネットの設立を決議したのがスタートでした。NPO法人としての認証は2001年7月10日です。

当時から「仲間づくり」と「役割づくり」を基本に据えて事業計画を立てましたが、正直どれだけの仲間が集うのか、世間の賛同を得ることができるのか、内心では不安を抱えていました。同年3月24日の北海道新聞社会面に「明るい老後、全道組織に参加しよう」との大きな見出しで報道されるや、事務所には電話が鳴り続け、3日間ほどその対応に追われたものです。

そして10年。会員は800~850名を行ったり来たりですが、北海道には札幌だけではなく、旭川、北見、釧路、空知、函館に支部ができ、津軽海峡を越えて本州の京都市、三重県四日市市、山形県鶴岡市にもシーズネットが設立され、自立したシニア層の団体として認知されつつあります。

人と人とが結びつくためのさまざまなサークル活動、勉強会や市民向けの講演会などが企画され実行されています。

さらに近年では社会的な存在感を示すための事業的な活動も活発で、北海道で昨年から実施したシニアの住まい関係の相談、情報提供、民間シニア向け住宅の推奨制度の実践研究、ひとり暮らしの高齢者を対象にしたコミュニケーションと安否確認の活動は、何れも注目を集めています。

会員にとっても元気な時に楽しく過ごせるだけではなく、虚弱になっても参加出来る、存在感のある団体であってほしいとの願いが、強くなっているように思います。

当面の次の課題は新世代へのバトンタッチをどうスムーズに行っていくかだと感じています。10年の経過は初代の会員が10の歳を重ねたことになります。次代に引き継げない団体は衰退を意味するからです。

意欲的な生き方とそのサポート

横型社会のリーダー育成

(通信2010-3月号から)

少子高齢社会が到来する過程で、地域社会の中で住民の孤立化が進んでいることがはっきりしてきましたが、そのような時代背景の中で新たな地域リーダーの存在が不可欠になっています。

かつて我が国は国家も、地域も、そして家族関係もタテ型として存在し、タテ型組織のトップが号令をかければ全てが動く特徴を持っていましたが、戦後はそれらが全て否定され、ヨコ型に変化しつつあります。

地域でも村落共同体時代は本家の長男をピラミッドの頂点にしたタテ型で秩序を保っていましたが、最近では例えば町内会長が号令をかけても地域は動かなくなっています。ましてや古い福祉の価値観で即ちタテ型でひとり暮らしの高齢者を支えようしても拒絶されるのが当たり前になっています。

ところがヨコ型地域では誰かが住民同士を結び付け、コーディネートしたり、行政と住民をつなぐ仕組みがないと、その地域の住民は孤立していく傾向にあります。加えて家族機能も核家族化によって結びつきが希薄になりつつあり、ますます孤立感を深める傾向にあります。

私たちのNPO団体も基本はヨコ型のつながりであり、組織も役割分担を中心としたヨコ型組織になっています。

それを地域と言う場で考えると、大切なことはタテ型のヘッドシップの人材育成ではなく、ヨコ型の人間関係を基本にして住民同士を結びつけ、コーディネートし、そして地域をネットワークしていくリーダーシップを持った人材の育成が何よりも大切になっています。

町内会活動がタテ型かヨコ型かは意見が分かれるところですが、未だに町内会長の多くを男性が占めていることだけは全国的な傾向と言えます。今ではあらゆる分野に女性の進出が著しいのですが、何故か町内会長は男性のポジションになっているのです。

私たちシーズネットはその仲間づくりと役割づくりの活動を通じてヨコ型人間関係のリーダーを育成して、それぞれの地域の中でリーダーシップを発揮することが大切ではないかと思っています。

我が国はいよいよ団塊の世代が60代半ばに近づき、本格的な少子高齢社会に突入します。そこに加えて人口減も起こってきます。総体的な人口、中でも子供の数は減少しますが、高齢者人口はますます増加していきます。

そんな地域の中で、何とか住民同士が結びつき、つながりを持って豊かに生きていくには新たな地域リーダーを欠かすことができません。そのことを互いに意識することが大切だと思います。

「下り坂人生」の生き方

(通信2010-4月号から)

この世に生を受けてから死を迎えるまでの人間のライフサイクルは決して平坦な一本道ではなく、山あり谷あり、上り坂もあれば下り坂もある筈です。それは個人差も当然ありますが、幼児期から高齢期に至るライフサイクルの過程での位置づけも変わってくると思います。

その意味でシニア人生は間違いなく、下り坂人生であることを認めたうえ、その下り坂を豊かに生きる生き方を学ぶことが大切だと、特に最近感ずるようになってきました。

今までは現役世代の延長として自分の人生を捉え、高血圧症や腰痛症などの病気は抱えてきましたが、積極的に生きる上での支障はなく、今も上り坂を馬車馬のように走り続けていると思っていました。しかし、今回の病気をキッカケにして加齢による心身機能の低下を実感し、下り坂人生を実感したうえで、その生き方を見出すことこそがシーズネット活動の基本ではないかと感ずるようになってきました。

たまたま「おひとりさま」の言葉を普及させた上野千鶴子氏の「男おひとりさま道」を読んでいて、シニア人生が下り坂人生であることを実感し、その人生を生きる大切なスキルは「弱さの情報公開」という言葉が頭に残りました。そして、その実践をしているのが北海道浦河町にある精神障害者生活共同体「べてるの家」の活動あることが紹介されていました。社会的弱者であることを自ら認めて、その弱さを地域に発信しながら地域の中で生きていく考えです。

健康を維持して、元気なシニア世代は自らの人生が下り坂であることを認めたくないと思いますが、シニア人生は人間のライフサイクルの中では衰退期に入る時期であることは間違いありません。

その時期に起こる病気などによる心身機能の低下、日々の暮らしでの弱さゆえのさまざまなSOSの発信などが気軽にできるような人間関係を構築することが大切であり、その拠点がシーズネットでありたいと思っています。

シニア層の当事者同士が自立をベースにしながらも、弱みを見せ合って肩を寄せ合い、もたれ合いながら「下り坂人生」を豊かに生きていくことこそ、これからの少子高齢社会に求められる生き方であり、そのような人と人とがつながって生きる地域づくりこそ、今求められているように感じます。

PPK=ピンピンコロリン=死の直前まで元気で、コロッと逝く生き方がシニア人生の理想形と言われて久しいですが、人間のライフサイクルを無視した考えのように思います。

シーズネットはそのような仲間同士のつながる場として、再構築したいと念願しています。

心地よい付き合い方

(通信2010-5月号から)

札幌市中央区という中心地にある標高531メートルの藻岩山には、術後体力の回復に合わせて、相変わらず土日で予定のない日には登るように心がけていますが、山ではすれ違ったり、追い抜くときには相手の方に何らかの言葉をかけることが習慣になっています。こんにちは、お早うございます、ご苦労さんです、などの言葉が一般的で、そのような習慣はぼくが20代の頃登っていた北アルプスでも同じでした。

平地では同じ町内、同じマンション住まいでも知らぬ顔をしていることが多いのに、山登りでは必ずと言って良い程声をかける、素晴らしい結びつきがあるのだ、と山好きの人間として誇らしく思っていました。

山頂で休んでいると誰彼なしに、どこから登られたのですか、今年何回目ですか、などの話が弾み、初対面でも知己の間柄のように親しげに話しています。山という自然の中では互いの人間関係も溶け込むような環境とか雰囲気があるのか、と感じていました。

ところが最近フッと思うのです。山仲間同士、親しく話していても互いの名前、住所を聞くこともなく、ましてや連絡先や仕事のことなどは一切話題になりません。どうしてだろう?と疑問を感ずるようになりました。

その結果山頂での出会いと言う場を利用して互いに黙しているより都合の良い会話を交わした方が楽しいと感じた時、心地よい共通の人間関係として後腐れのない付き合い方をしておしゃべりをしているのではないか、と思うようになりました。

深い付き合いは避ける、その場限りの都合の良い気楽な人間関係をつくることが得策だ、という気持ちがどこかに働いていないのでしょうか?

そう考えると私たちのシーズネットの人間関係も、誰かとしゃべりたい、誰かとの人間関係をつくりたいと思った時にだけ参加するという会員の方もおられるのではないか、と思うようになってきました。また現代という時代はそのような深入りしない人間関係こそが求められる時代ではないか、と・・・。

家族や地域との人間関係を一切排除してしまうと孤立した生き方になってしまい、そのような人生は避けなければならない。と言って互いのプライベートな面まで入り込む人間関係は煩わしくてストレスを感じてしまい、大変です。基本的には自分ひとりの暮らしを楽しむ、孤独な生き方こそがふさわしいのではないか、という考え方があるのではないでしょうか!?

「煩わしさを避けて孤独に生きる方が良い、しかし孤立はしたくない」そんな付き合い方を求めているのが現代の人間関係のあり方なのでしょうか・・・何か考えさせられてしまいます。あなたのご意見は・・・?

ぼくの人生と「かりがね」

(通信2010-6月号から)

今から31年前の1979年(昭和54年)、信州長野県真田町(現在は合併して上田市真田)に定員40名の知的障害者の生活施設「かりがね学園」がオープンしました。当時ぼくは京都の信用金庫を退職して信州に移住し、施設の指導員になっていましたが、閉鎖的で指導と称する福祉施設のあり方に疑問を感じて、新しい施設づくりの運動をはじめましたが、約3年間の努力が実って開設したのが、そのかりがね学園(現在はライフステージかりがね)でした。

ぼくが38歳の時でした。因みに「かりがね」とは結び雁がねのことで有名な真田一族の生誕地であり、表紋は六文銭ですが裏紋が結び雁がねで、地元真田町に人々にとっては「かりがね」と言う言葉と真田町は同意語になっていましたので、そのような名前にしました。

信州に移住して5年。福祉の「ふ」も知らない人間が、財産もないまま1口千円という会費制で設立運動をはじめました。地元真田町の有力者の人々、多くのボランティア、そして職員予定者の仲間たちなど多くの人々の善意が結集して実現した施設でした。資金的にも京都の信用金庫時代の仲間、地元真田町の住民の方々、そして全国から6,500名位の人々の力で35,000千円程度資金が集まり、ぼくは初代園長としてその職責を担ってきました。

ところがいろいろな事情で5年足らずでぼくは強引にかりがね学園を退職して群馬県に移住してしまい、以降26年間と言う半世紀に渡って「かりがね」とは空白期間が生じていました。

多くの仲間たちとボランティアで準備に勤しみ、真夜中に働いて昼間施設づくりの準備をする、と言う苦労の末に実現したことはいつまでも心の片隅に残り、空白を埋めたい気持ちは強くなるばかりでした。

今年4月中旬、この実会グループ加藤代表やライフステージかりがね小林施設長の尽力で地元真田町で地域福祉公開特別講座が開催され、講師として招かれることになり、2泊3日で実質26年振りに30代を過ごした上田市を訪問することができました。

当時の20代の若者たちが50代以上になり、ぼく同様初老を迎える仲間もいましたが、ぼくにとってはかけがえのない人生を共に夢を見ながら過ごした仲間たちとの再会を果たすことができ、感無量の数日間を過ごすことができました。入居されている方たちの中にもぼくを覚えて下さっている方が多くおられることも感激でした。

人生は人と人との関わり、積み重ねの上に成り立っていることを改めて感じることができました。

上田市のシンボル上田城には満開の桜が咲き乱れていました・・・。

病気が取り持つ再会

(通信2010-7月号から)

昨年末に胃と大腸の癌の摘出手術を行い、年明けにそのことを知人友人にハガキで連絡してから、一度会いたいとの連絡が多く来るようになりました。

信用金庫で社会人の一歩を踏み出した故郷京都、福祉に目覚め、社会福祉施設を建設した長野、そして群馬県を経由して北海道に来て25年という歳月が流れましたが、それらの土地で新しい仕事に取り組み、さまざまな人間関係を構築してきたつもりです。

そしてその場を離れると年賀状程度の付き合いになり、現状の暮らしに追われてついつい疎遠になっていました。

ところが入院中で年賀状が出せなくなり、退院後病気の報告をさせて頂きましたが、癌という病気のせいかどうかわかりませんが、疎遠になっていた多くの友人知人から再会の話があり、特に今年の4~5月はそのラッシュになりました。

一番ブランクの大きい再会は定時制高校時代の同級生たちで実に50年の歳月が流れ、多くの同級生とは卒業して以来ごぶさたしており、正味50年会っていないことになります。同じ京都で大学を卒業して7年間勤めた伏見信用金庫の仲間たちとは40年振りになります。さらに長野県で知的障がい者の生活施設をひとつの市民運動形態で実現したかりがね学園のボランティア、職員、地域の仲間たちとは約30年振り。札幌でも医療法人渓仁会に勤めて医療福祉部門を創設した仲間とも約20年間のブランクがありました。

ついつい現状の忙しさに追われて過去に培った人間関係を疎かにしてきましたが、この2ケ月でそれらの仲間たちと一気に再会を果たすことができました。

当時20歳代の若者たちが50代以上になっており、当時の顔立ちと変わらない人、誰だか全くわからない人などさまざまでしたが、その何れも長いブランクを越えてなつかしさが込み上げてくる再会でした。

過去に起こったさまざまな出来事をなつかしく回顧する過程で、単なる過去への郷愁だけではなく、温故知新、これからの人生の励みになったり、新たなつながりに結びついたり、或いはゆったりした気分でコミュニケーションがとれたり、ぼくにとって有意義な価値ある一時になりました。

その意味では癌の病気になったことに感謝すら感じています。

加齢に伴って、過去の人間関係への再会への気持ちが強くなるのも人生なのかも知れませんが、これからもそのような再会の場を積極的に果たして、シニア人生をより豊かなものにしたいと思っています。やはり人と人とのつながりって良いものですね!

これからの10年

(通信2010-8月号から)

私たちのシーズネットもいよいよ10月には創設10周年記念のイベントを行うことになっていますが、その日が近くなるに連れて、これからのNPO法人シーズネットの方向について考えてしまいます。

NPO法と呼ばれる特定非営利活動法が施行されて10年の歳月が流れますが、「地域ニーズに基づく非営利で公益的な活動」と言っても、いくつかのジャンルに分かれるのではないかと思っています。大きく3点に絞って見ました。

  • 事業型NPO
    地域課題を解決するために、ある面ビジネスと言う視点から活動を行うNPOで、最近NPO法人での雇用が叫ばれていますが、それには収入を伴う事業化が大前提になります。福祉や介護の分野では介護保険事業への取り組みが、その中心になると思います。
  • 住民参加型NPO

    地域課題を多くの住民参加によって解決しょうとする試みで、一般に言われる住民同士の助け合い活動で、費用も伴いますが、非営利価格で雇用の段階までは行きません。即ち費用は給与ではなく、共助に伴うお礼とも言うべき性質で最低賃金以下が一般的です。

  • 公共の担い手型NPO

    地域課題の解決に向けて事業化したり、価格設定が困難な事業については行政との協働で行い、また指定管理など行政では難しくなった公益的な事業運営をNPOが公共の担い手として行う活動です。行政の委託制度や助成制度の活用によって行うもので、新たな公共事業として雇用などが発生します。

もっと他にも分類する手法があるかと思いますが、上記ジャンルの内わがNPO法人シーズネットに相応しい活動はどれなのでしようか?

現状から分析すると明らかに仲間づくりを主体としたサークル活動など住民参加型をメインにして、新たな公共の担い手としてのNPO活動を新たな分野として展開しており、独自事業は極めて弱いのが現状です。

これから団塊の世代が私たちの仲間に入り、私たち自身も加齢を重ねていくのが、これからの10年だと実感しています。

さて、わがNPO法人シーズネットはこれからどの道を歩むのか、決めるのは個々の会員の方々の行動如何である、と言って間違いではないと思うですが・・・。

交通アクセス~新たなまちづくりのために~

(通信2010-9月号から)

これからの10年間は、地方ではなく、都市部の高齢化が一気に進むと言われています。そのような状況の中で、都市部のまちづくりはどうあるべきなのか、札幌と京都を行き来してバスや地下鉄を利用する中で、その交通システムの違いについて気になっています。

最近は、どの地域も地域の基盤になっていた商店街が衰退しており、郊外のスーパーや大型店舗に顧客を奪われている事例が多く見られますが、そのことが高齢者の買物難民を産む背景になっていることは良く指摘されます。

車主体のまちづくりではなく、公共交通主体のまちづくり、さらに徒歩圏での暮らしを考えた場合、地下鉄やバス、市電などの交通網のあり方を再考する時期に来ているように感じます。

例えばバス路線を比較すると、札幌市の場合は地下鉄に結びつけることを主眼にしており、市内移動はバス→地下鉄→バスで目的地に行くことを前提に、路線がつくられているようです。

ところが京都市の場合は、かなり細かくバス路線が定められており、乗り換えなしに市内の主要な目的地に行けることを主眼に、路線が敷かれているように思います。

例えば、ぼくは札幌の場合、石山通からバスに乗りますが、どのバスも南北一本で東西の路線はありません。札幌ドームに行こうとすると、直線距離は短いのですが、乗り物はバスで地下鉄乗り場に行き、東西線から東豊線に乗り換えなければなりません。

京都の場合は北野神社前からバスに乗りますが、東西、南北主な場所には乗り換えなしで行くことが出来、またバスの便もかなり頻繁に走っています。

高齢者の場合、目的地に行くのに乗り換えが必要になると、虚弱や足が弱くなるとどうしても車に頼ることになってしまい、バスや地下鉄などの公共交通を敬遠してしまう結果になります。

我が札幌もこれからは幹線道路だけではなく、生活道路などにもバスが入り込んで、小まめに街中を走りまわる、デマンドバスのような仕組みも必要な時期が必ず到来すると思っています。

今住んでいるところに、スエーデンのコミューンのような、徒歩15分圏内に商店や診療所など最低限必要な生活拠点があるようなまちづくりが、求められているような気がします。従来のドーナッツ型の若者主体のまちづくりの時代は終わっていることを認識して、新たな都市型のまちづくりをしてほしいものです。

孤立社会への挑戦

(通信2010-10月号から)

最近の社会で発生している事件、例えばわが子への虐待や養育の放棄(ネグレクト)、そして長寿の人生を謳歌しておられる筈の100歳以上の高齢者が実は所在不明で家族も知らないという現実・・・私たち人間にとって最も信頼を持って頼るべき最小単位の家族関係の異変、それらのショッキングな出来事の背景に潜んでいると言われる孤立した暮らし。

家族関係を補うべき地域社会もまた住民同士の連帯感を失い、孤立社会になっているようです。本来、人間は人と人とが結びついた社会的な動物の筈なのに、その本能すら失いつつあるような危機感を覚えます。

私たちシーズネットはとにかく人と人とがつながったシニア人生を送りましょう、住民同士が結びついた地域社会をつくりましょう、そこに住んでいる住民ひとりひとりが存在感を持った人生が送れるような地域社会づくりに貢献しましょう、を合言葉に活動をはじめて早いもので10年の歳月が流れます。

その成果は個々の会員さんの心の中にあり、ひとりひとり評価は異なっていると思いますが、少なくともその目指すべき方向は間違っていなかったと自負しています。会員数は北海道では800~850名と横ばい状態が続いていますが、北海道内外への地域にその輪は広がりつつあります。

NPOとしてヨコ型人間関係という未知の組織での活動は、人間関係のさまざまな亀裂を発生させているのも事実ですが、そのような社会的な学習を繰り返しながら人間は新しい時代に順応できるようになるのではないかと、思っております。

シーズネットが最初に芽吹いた北海道では、この10月に創立10周年の記念イベントがはじまります。ひとりひとりの会員さんが、会員になって10年になる方も、入会したばかりの方も、それぞれの立場でこれからのシニア人生のグランドデザインを描いて頂き、そしてシーズネットとの積極的な関わり合いを考えて頂くキッカケになれば、と思います。

私たちシーズネット会員は、とにかく孤立した人生は送らない、私たちが住んでいる地域社会を孤立社会にしない、を合言葉に日々の暮らしを営み、その過程で発生した課題を当事者の視点で解決できるような共助の仕組みを創っていく姿勢が求められるような気がします。これからの先の人生に思いを馳せながら、シーズネットのイベントに参加して頂きたいものです。

個人情報の開示とシニアの暮らし

(通信2010-11月号から)

札幌市社会福祉協議会では今年度の事業として、福祉のまち推進センターを中心とした地域の助け合い活動で「まさかの時の安心カード」と題する緊急連絡カードの普及促進を図る準備を進めています。もし、ひとり暮らしで家で意識不明になったり、急病で倒れて意思表示ができなくなった時、自分の意思を外部にどう伝えるかは大きな課題になっています。

緊急連絡カードには、家族を中心にした緊急連絡先の住所、電話番号、名前の記入と、かかりつけ医の病医院名とその連絡先が記入できるようになっており、発見者はその緊急連絡カードに基づいて連絡することになっています。そのカードを地域に広めていく場合に突き当たるのが、個人情報保護の問題です。最近は何かにつけ他者の情報を問うと、個人情報は教えられません、との断りの言葉が返ってきます。

でも、本来平成15年12月に施行された「個人情報保護に関する法律」で対象となるのは個人情報を取り扱う民間の取扱事業者で、しかもその個人情報が過去6ケ月間継続して年間5千人以下の場合は対象から除外されることになっています。即ち、この法律を順守する義務を課せられているのは個人情報を取り扱う民間事業者で、本来地域での住民情報や行政活動は対象にはならないと言われています。

ところが現実は法律の趣旨とは別に、拡大解釈による「個人情報の保護」だけがひとり歩きしているのが、現状のように思えます。

私たち住民にとって、これからの孤立化の傾向の強い地域社会の中で大切にことは個人情報の保護ではなく、最低限必要な個人情報を同じ地域住民に開示することによって、緊急事態が発生してイザと言う時には互いに助け合っていきましょう、という相互扶助の精神ではないでしょうか!

孤立社会で個人情報の保護が先行すると住民同士の関係がますます孤立化を促進する方向に行ってしまうのではないかと、危惧しています。

知り得た情報を噂話として喋りまくることは論外ですが、これからの時代は「私は安心カードに個人情報を記入して玄関ドアの裏側に貼っておきます。イザという時にはそれを見て助けて下さい」と互いに言えるような地域環境をつくることが、互いに肩を寄せ合い、もたれ合いながら生きる道になるのではないでしょうか。

行政依存ではなく、住民同士の連帯感をベースにした助け合いの仕組みこそ、新たな地域社会づくりの基本的な考えのように思えます。

札幌大好き!京都大好き!その違い

(通信2010-12月号から)

私たちはこれからの時代、私たちが住んでいる地域社会をどう評価し、どう再生するかが大きなテーマになっている、と考えます。特に孤立化傾向にある現代社会ではそこに住んでいる人と人とがどう交流するかのステージとして大切になっています。

かつて「福祉のまちづくり」について考えたとき、その要素として①人と人との交わりがあること②団体や組織間にネットワークがあることそして③精神基盤があることの3点を私見として伝えてきました。

今までは住民同士の交流、即ち人と人とのつながりをポイントとして訴えてきましたが、もう一つの側面、即ちわが町が好きだ、という精神基盤が地域の中にあるかどうかも、大きなポイントだと考えるようになってきました。

ところが、こうして故郷である京都と今の生活拠点である札幌を行き来して、わが町大好きの中身に大きな違いのあることに気づきました。

勿論全員がそうではなく、またデータをとった訳ではありませんが、明らかに感ずるのは、京都大好きという京都人の京都とは今住んでいるところを指します。ところが札幌大好きという札幌人の札幌とは今住んでいるところではなく札幌全体を指します。故に札幌が大好きな市民が今住んでいるところには拘らないで、平気で引っ越しを繰り返すという現象が見られます。そのような現象は京都では考えられない現象です。

そのような地域特性を考慮すると、例えば今流行りの高齢者向け共同住宅も札幌では活況を呈していますが、京都では伸び悩んでいる、という結果の違いとして出てきます。かつて10年以上居住していた長野県民も京都と類似した考えではないかと推測します。

北海道は道内移動人口が全国一だと、何かのデータで読んだことがありますが、そのような背景には歴史的に鎮守の杜のような精神基盤が地域社会になかったことが挙げられます。

これからの課題として北海道らしい地域基盤をどうつくるかがテーマになりますが、現時点ではどちらが良い悪いではなく、それらの地域特性を十分理解したうえで、人と人との結びつきの方法を考えたり、地域ネットワークを構築しないと、容易に機能していかないと思います。

地域社会のあり方が問われているのは事実です。そのあり方や再生を考えるとき、同じ地域としての視点ではなく、それぞれの地域の歴史についても念頭に置きながら、その施策を講ずるべきだと思います。

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