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豊寿語録 -2007

岩見太市遺稿集『豊寿語録』-2007-

岩見太市

少子高齢社会の新たなシニア人生の生き方、考え方・・・・
さまざまなシニア人生を取り巻くドラマを、皆様と一緒に考えたいエッセーです。ご意見・ご感想をお待ちしています。

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

非言語のコミュニケーション

(通信2007-1月号から)

新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。さて、言語という道具を使ってコミュニケーションを取れるのは人間の人間たる所以のようですが、それでも人と人とのコミュニケーションの8割以上は非言語のコミュニケーションに頼っていると言われています。

ぼくの福祉人生は信州長野県でのある知的障害者との出会いから始まりました。その青年は幼少時代程度の言語力しかなかったので、さまざまな仕草、行動、表情などによってコミュニケーションを図ったものです。丁度、乳幼児を育てておられるお母さんと同じでしょうか。

我がシーズネットでは仲間づくりを合言葉に、初対面の方々が多様な出会いをされていますが、シニア世代になるとその中心は言語によるコミュニケーションになります。ところがある程度慣れてくると、言語と言語のみがぶつかり合うと、逆に互いの感情摩擦が生じて、大抵の場合喧嘩別れになってしまいます。言語の背景には、それぞれの長い人生の間に培われた価値観があり、その価値観が異なるまま言語と言語がぶつかると感情のトラブルになってしまうのかも知れません。シニア時代の仲間づくりには「気心を知り合う」関係が大切ではないかと最近、思うようになってきました。

私たちの世代ではヨコの人間関係ですから、嫌な人とは無理して付き合う必要はありません。「気心が知れる」という言葉は多分コミュニケーションによって培われた人間関係ではなく、その人の性格、考え、行動など非言語的な部分によって、相手とのコミュニケーションが図られるものではないでしょうか?ましてや言語と、それに裏打ちされた行動との整合性を周りの人々は厳しくチェックしていますから、基本的には相手とのコミュニケーションは言語ではなく行動によるべきで、行動に示された言語こそコミュニケーションのツールとして生きてくるように思います。

長野県で過ごした我が30代の人生で学んだことは、今振り返るとそのようなことを知的障害の方々から教えて頂いたような気がします。気心の知れた仲間を大勢つくりたいものです。シーズネットの活動も今年は7年目に入ります。いくつかの事業も具体化してきますが、その原点に非言語のコミュニケーションを置きたいものです。

加齢と病気

(通信2007-2月号から)

昨年の暮れも押し迫ったある夜中、胸がキュッキュッ、ドッキンドッキンという痛みを感じて目が覚めました。今までも、たまにそのような痛みを感ずることはありましたが、今回はその痛みが断続的に続いて、何か心臓がバクバクするような感じが気になって高血圧で定期的に通院している病院に駆け込んだところ、狭心症の疑いがあるとの診断でした。心電図には異常は発見されませんでしたが、年末年始に入るため予防薬として心臓の血管を拡張する薬を飲んで様子を見ることになりました。万一のためにニトロペン錠まで渡されました。思わず父親が73歳で心不全という病名で突然死したことを思い出しました。ところが年末になって胸の痛みは治まったのに、今度は激しい頭痛に見舞われ、正月はズキンズキンする頭痛との闘い・・・。病院に電話をして薬の副作用とわかりましたが、頭と胸の両方の痛みに襲われた最悪の新年になりました。

私は1月末で66歳になり、今70歳に向かって突き進んでいる感じですが、フッと考えると昨年はやたら通院の機会が増えた感じがします。生活習慣病になっている高血圧とたまに再発する腰痛の他にも、腸炎による下痢、爪疥癬、皮膚の痒み、そして今回の狭心症の疑い、特に今回はショックな病名でした。高齢期の健康意識の高まりや介護予防などが盛んに叫ばれていますが、病気への対応や要介護になった時の心構えなどについての話はあまり聞きません。

一般的に考えれば、長い高齢期の半分は健康な高齢期でしょうが、後の半分は虚弱、病気、要介護状態の高齢期と言えます。即ち加齢による身体機能の低下もあって、病気や介護状態との戦いが人生最後の舞台でもある訳です。換言すれば死に至る歩みとも言えます。PPKへの憧れだけで、老後の人生をデザインすることはできません。病弱、要介護状態を受け止め、どう付き合って老いと向き合えばよいのかもこれからの大きな課題になりそうです。

私たちシーズネットの会員でも、80代で要介護状態なのに笑顔で活動に参加される方、家に閉じこもる方、寝たきりになる方などさまざまです。自分の体験を通して病気や要介護状態を否定するのではなく、正面からそれらと向き合うことを覚悟した生き方についても考えながら、これからの人生行路を歩みたいものです。これからもさまざまな病気や加齢現象と付き合わなければならないのですから・・・。

都合により今月は井戸端会議はお休みにします。なお、このはなサロンでの「おしゃべり会」は2月14日13時半から行いますので、ご参加下さい。

地方の福祉力

(通信2007-3月号から)

旧産炭地で現代ではメロンと映画のマチとして知られている夕張市が財政再建団体として、国の管理下に入って再建をめざすことになりましたが、そのことが北海道の他の市町村に有形無形の波紋を投げかけているようです。もともと公共事業への依存度が高い地域だっただけに、旧産炭地を中心に近い将来同じように財政再建団体への可能性の高い市町村の多いようで、積極的な行政施策が影を潜めつつあるような気がします。

夕張市では630億を超える借金が表面化し、一般企業では完全な倒産状態ですが、行政の場合は市職員や議会議員には従来通り給与も支給されます。

そして、気になるのが夕張市民の多くが、道庁や国が何とかしてくれるだろう!助けてくれるだろう!という従来と同じお上依存に陥っているのではないか、との懸念です。

私は今回の夕張市の出来事は北海道民が「ピンチをチャンスに切り換えられるかどうか」が最大のポイントだと思っています。それができないで相変わらずの住民意識だと北海道の未来はないでしょう。市民が立ち上がり、何とか映画のマチを持続させたい市民グループが立ち上がったような雰囲気が市民全体に芽生えれば、住民自治という新たしい北海道の市町村のあり方が見えてくると感じています。

私の故郷関西は豊臣秀吉が徳川家康に滅ぼされて江戸に幕府を開いて以降、官から見放された歴史があります。その時立ち上がったのが市民のパワーだったことは広く知られています。水の都大阪の橋の半分以上は商人が私財をはたいたつくったもので淀屋橋、天満橋など橋の名前は未だに残っています。関西は市民活動が活発だと言われる背景にはそのような歴史的な経緯があることは間違いありません。

夕張市の高齢化率は40%を超えています。その主人公であるシニア層の方々が国や道が何とかしてくれるだろう、ではなく、市民が立ち上がり、自分たちでできることは自分たちでやろう、という気概こそが必要なことを自覚すべきだと思います。

シーズネットデビュー~仕事人生が終わった方へ~

(通信2007-4月号から)

いよいよ2007年春本番の季節がやってきました。団塊の世代と呼ばれる昭和22年生まれの方が60歳代に突入する歴史的な年とも言われています。さて、これから20年以上と言われる長いシニア人生のスタートの年にもなりますが、余命と呼ぶにはあまりにも長い人生設計はOK状態でしょうか?

私たちが生きる拠点としては職場、家庭、地域の3ヶ所に大別されますが、定年によってまず職場を失うことになりますが、それは仕事だけではなく職場の人間関係も失うことを意味しています。多くの男性の場合は無くした職場に代わって家庭に存在感を求め、奥様との関係の再構築を図ろうとしますが、既に地域の中で人間関係と居場所を確保されているケースが多く、老夫婦の関係は寄り添い合える関係より、むしろ奥様側から見ればストレスや感情のズレが表面化する危険性が潜んでいます。

残るは地域デビュー。ところが職場と地域の決定的な違いはタテ型(職場)とヨコ型(地域)の人間関係の違い。現役時代の肩書きや役職は地域では通用しません。さらに地域では自らアクティヴに行動を起こさないと、相手から誘ってはくれません。一歩踏み出す行動力が不可欠なのです。

その一歩をシーズネット活動に向けて頂けませんか?シーズネットで地域デビューの一歩を踏み出しませんか!

私たちが求めているのは長いシニア人生にとって欠かすことができない良き友達づくりと地域や社会と関わる活動をすることによって、ひとりひとりの存在感=居場所をつくり、新たな人生設計を自らの英知と工夫を結集して描き、実行することです。私たちはそれを「シーズネットデビュー」と呼ぶことにします。

それぞれの地域社会の中でデビューする場所はそんなに多くはありません。町内会や老人クラブなどの小地域活動、それぞれの好みの趣味活動グループ、さまざまな分野のボランティア活動、新たな起業活動などが考えられますが、そんな中にシーズネットも選考の中に入れて下さい。

一番まずい決断は人間関係を避けた暮らしを求めて、孤立して好きな趣味や活動に没頭することです。人間関係からは絶対に逃避しないで下さい。シーズネットデビューをお待ちしています。

これからの「シニア安心の住まい」への挑戦

(通信2007-5月号から)

シーズネット(北海道)では地下鉄麻生駅近くに第1号のシニア向け賃貸住宅「ラ・カンパネラ麻生」を事業者とタイアップして完成させ、4月から入居者を募集しています。

介護サービスや食事の提供はありませんが、「交流・相談・紹介」をキーワードにして、老後の暮らし、要介護状態、医療、死後のことなど困ったことがあれば、いつでも相談に応じたり、必要な機関を紹介するシステムになっており、老後の「安心」をシーズネットが保証する形になっています。

建物は建設会社がつくり、入居者支援はシーズネットが担うという全国初の事業者とNPOが連携した住まいづくりと言えます。

ソフト中心のため、市民にはまだまだ認知されていませんが、実は国も大変注目している住まい方の一つで、このような住まいは要介護状態になってからではなく、50代の子育てや仕事人生が終わった元気シニア人生時点から「豊かに暮らす拠点」として位置づける住まいになると確信しています。ポイントは交流で、孤立を防ぐことです。何故今、そのような住まい方が脚光を浴びるのでしょうか?

「人生最後はひとり暮らし」の生活環境が現実味を帯びてきましたが、その中で最後の課題になってくるのが、安心して住み続けられる住まいのあり方と言えます。今までは家族という単位での暮らし方が主流で、親から子へと住まいは引き継がれるのが普通でしたが、少子高齢社会では家は個の住まいになりつつあり、1代でその家は消滅しつつあります。

しかも、昨今の社会保障の動向では要介護状態になっても介護保険施設への入居や、病院での長期入院は不可能になっており、終末期も在宅での暮らしが必要になってきています。

即ち、高齢期になってひとり暮らし、そして虚弱状態になっても病院や施設に入ることは殆ど不可能になりつつあるのです。

そこで登場するのが、住まいのあり方・・・。介護保険施設に代わって全国的に全額自己負担の有料老人ホームがブームになっていますが、権利金方式が多く、多額の一時金が必要になります。もっと安価に入居でき、しかも必要な時に必要なサービスが受けられ、在宅の施設化をめざす新たな住まい方として今回の住まいのあり方に挑戦したいと思っています。

「ラ・カンパネラ麻生」に関心のある方は事務局までご連絡下さい。

老後・男と女の新たな関係づくり

(通信2007-6月号から)

行きつけの理容店は美容店と衝立1枚で仕切られているだけの併用の店になっています。その店を利用していつも思うことは、女性主体の美容店からは客同士や客と店員との話し声が途切れることなく聞こえるのに対して、男性主体の理容店からは黙々と仕事をこなす店員の鋏の音が聞こえるだけで会話は殆どありません。たまに野球や車のことが話題になることはありますが、その話題が途切れると再び、沈黙の空間が広がります。

他方、美容コーナーからはペットや子供のこと、近所の噂話、気候から政治談議までテーマがコロコロ変わってもお構いなしで、話が弾み続けます・・・。

老後の男性の暮らし方で「おしゃべり女に沈黙男」なる本が出版されても良いのではないか、と思うほど、老後の男と女の差に会話の違いが出てきます。その現象が元気な女性と孤独な男性の差となっているのも、ひとつの要因かも知れません。

しかし、人類の長い歴史を紐解くと狩猟民族からスタートした人類は狩をして生計を立てる男と、家族や部族を守る女の違いからスタートした、との指摘があるように長い人類の過程からそのような特性が出ていることもあり、だからといって男性も女性と同じように会話のコミュニケーションを楽しみなさい、と言われても容易に真似る訳にもいきません。

そのような環境の違いが言われる中で、シーズネットの事務所の光景を眺めていると男女の区別なく、パソコンを学びあったり、絵てがみを描いていたり、また事務処理の打合せをしていたりと、さまざまな小集団が会話の花を咲かせていますが、どのグループも男女入り混じってのコミュニケーションが繰り広げられています。

一番孤独なのは部屋の片隅に事務所を構えているボク自身であることを実感することさえ、よくあるのですから・・・。

老後こそ、互いの個性を認め合い、それを活かす場づくりこそ、大切ではないかと感ずる今日この頃です。地域ではあまり見かけない、そのような事務所の自然な雰囲気、和やかな環境こそ、シーズネットの財産のように思えるようになってきました。北海道だけではなく、京都でも三重でも同じような雰囲気を感じます。

禁煙一年と生活習慣病

(通信2007-7月号から)

忘れもしない2006年7月4日たばこ代の値上げに抵抗して禁煙を実行して(実際は国の思う壺にはまり込んだだけでしょうが・・・)早いもので1年が経過します。

20歳過ぎから今日まで40余年の長い間、ニコチンの強いハイライト一筋に1日1箱~2箱、1回も休まないで吸い続けていたのが突然禁煙を実行した時はその自信はなく、休煙、節煙のつもりでした。ですから、周囲には禁煙宣言をしないまま実行に移しましたが、案ずるより生むが易し、で特に禁断症状などの自覚のないまま1年が経過したように思います。勿論途中1本も吸っていないことは断言できます。

ただ、この1年の間に夢の中でタバコを吸い、「あっ、吸っちゃった、ヤバイ!」と思って慌てて消そうとして目が覚めたことは何回か経験しました。

最近ではタバコの存在をあまり意識しなくなり、どうやら禁煙生活が続けられそうな感じですが、禁煙から半年後の昨年末から胸の動悸や声帯炎(急性咽喉炎)など体の異常が相次いで起こり、健康に自信があっただけにショックを受けたものです。

四捨五入で70歳になる現状からしても、現役生活の延長で今日の暮らしをするのではなく、加齢を意識しながら年齢に合致した暮らし方の工夫も必要ではないかと感ずる今日この頃です。

高血圧症によって降圧剤は一生服用し続けることになるでしょうが、薬に依存するだけではなく、日々の暮らしの中で体力も消費し、運動療法も積極的に導入して生活習慣病と対峙できるようになりたいと思っています。

健康志向は勿論大事なことですが、シニア人生では病気との付き合い方、良き伴侶と同じ発想で病気と二人三脚で人生を前向きに捉えることの大切さを味わっています。

今年の上半期はさまざまな発症に落ち込む日々でしたが、下半期は上手な病気との付き合い方を学び、現役時代とは異なる価値観で社会や地域と関わり、日々の暮らしを大切にしたいものだと思う今日この頃です。

それにしても動悸を感じながらの仕事の苦しさ、そして3月下旬には突然声が出なくなって耳鼻咽喉科に走ったりと医者通いと薬漬けの日々。

まだまだ病気との同居というより、闘いが続きそうな気がしますが・・・。病気と仲良くして豊かなシニア人生を送っておられる会員の方々からもっともっとシニアの生き方を学びたいものです。

山登りとシニアライフ

(通信2007-8月号から)

札幌市街地にあって、梅沢俊著「北海道百名山」に選ばれ、市民のシンボルとして親しまれている藻岩山(標高531メートル)は、我がマンションのベランダから四季を通じて眺めることができます。今まで登ったことはありませんでしたが、2005年の初夏にフッと我が青春時代の山登りをなつかしく思い出した途端、急に山登りをしたくなり、今年は慈啓会病院、市民スキー場、旭山公園コースも入れて既に7月現在10回を越えており、特に昨年末に発症した胸の動悸を克服して心臓を鍛えることも大きな目的になっています。

マイカーで登山口の慈啓会病院の近くの観音寺駐車場に行き、登山ルートに観音像を見ながら、砲台跡から馬の背に出て、藻岩山山頂まで今までは約1時間のぺースです。全長2.8キロの短いコースですが、かつて20代~30代にかけて京都や信州にいた頃に何回も登り続けた上高地から槍、穂高岳、大天井から常念岳に至る北アルプス連峰や裏銀座コース、また信州上田市に住んでいた頃は早朝マイカーで出発して猿倉まで行き、白馬岳の山頂を踏んでまた上田市に戻るという日帰り登山を何回も経験したことを思い出します。

藻岩山は往復2時間弱の登山ルートですが、ぼくにとっては若い頃何回も足を運んだ信州の趣味登山に匹敵するシニア人生の登山になりつつあります。

何回登っても辛い登りで特に最後のガレ場は息が切れますが、頂上に着いた途端登りの辛さを忘れ、また登りたくなる心境は若い頃の信州登山と同じです。ささやかな喜びと満足感が辛さの結果として、味わうことができるのです。

どうやらぼくのシニア人生の趣味のひとつに「藻岩山登山」が加わるようになったようです。藻岩山に何回か登って気がつくことは、同じような年代の登山者の多いことです。そして女性は仲間との登山が目につきますが、男性はぼくのように単独で登っている人が多いです。山登りの光景にも男女差が見られる時代背景があるのでしょうか?

そして最近感ずることはシニア人生で山登りの意欲が沸く間は人生も積極的に生きたい意欲があり、山登りが辛く思えて控えるようになると、シニア人生にも影響を与えるのではないかと思うようになってきました。

約20年振りの趣味登山の復活はガツガツした山登りではなく、鳥の囀りや木々の緑を楽しみながら藻岩山の自然の懐に入りたいものです。

万引きに走る高齢者たち

(通信2007-9月号から)

2005年の65歳以上の高齢者の犯罪検挙者数は42,108名となっており、10年前の3.4倍に急増しているとのことです。この数は高齢者の人口増加率の2倍以上で、高齢者の犯罪が急増していることを物語っています。

問題はその中身です。検挙者の実に55%と、半数以上が万引犯というデータです。

スーパーなどで買物の際に佃煮やチョコレートなどを万引きするようですが、別に生活に困窮して行うのではなく、お金を持っているのに万引きするという悲しい現実。何故、そのような現象が起こっているでしょうか?

糖尿病の高齢者が家族から甘いものを食べるのを厳禁されているが、どうしても食べたくて万引きするようなケースは、或いはストレスの発散などで片付けることができるでしょうが、身近な生活用品を万引きする背景には何があるのか、その心理的背景を考える必要があると思います。

類似ケースで消費者金融から借金する高齢者も増えているようで、65歳以上への融資は30%を超えているとか。テレビ報道で話題になったのは、ひとり暮らしの女性の方が消費者金融から借金をして、パチンコ通いをしておられるとのことを知り、愕然としました。

私は心理学の専門家ではありませんが、やはり高齢者を取り巻く生活環境や地域環境などに大きな変化が起こり、ストレス、寂しさなど意識の変化がついていけない結果として起こっている現象のように思えてなりません。

自己の存在を認めて欲しい、或いは一寸したスリル感を求める気持ちが万引きに走らせ、日常の暮らしの中で存在感がなかったり、行き場所のない高齢者たちがパチンコ店に足を運ばせるのでしょうか。

他にも欝傾向やアルコール依存症の高齢者も増えるなど、ここ数年の間に高齢者の暮らしの中で起こる、私風に言えば「特異現象」が散見されるようになってきました。

そこに潜む高齢社会の陰の部分に着目して、その生き方を考える必要性を改めて感じています。ある意味で、彼らは万引き犯としての加害者ではなく、環境の激変に対応できない被害者のような気がしてなりませんから・・・。

早く見つけて欲しい!

通信2007-10月号から

少子高齢社会という人口形態の激変は、高齢期の暮らしに予想以上の変化を及ぼそうとしているようです。その中でも人口形態のデータを見て一番びっくりするのは、これからの時代「人生の最後はひとり暮らし」という方がますます増加する、という現実です。

平成17年の国勢調査の結果を見ても、65歳以上のひとり暮らし世帯は5年で全国平均27%の増加になっているのです。もはや息子や娘に老後の暮らしの面倒を見てもらう生活光景は都市部を中心に消滅しつつあります。歴史の彼方に消えていこうとしているのでしょうか。

他方で社会保障施策の中でも医療や介護は施設中心から在宅中心に移行しつつあり、医療は急性期を除いては在宅医療に委ねられ、介護保険は在宅主体への仕組みに切り換えられています。

そうです、これからのシニア人生の暮らしは要介護になっても在宅での暮らしを余儀なくされ、しかもそこには家族は老夫婦のみ、もしくは誰もいないひとりの暮らしという生活形態が主流を占めるようになっているのです。

その現実を直視することによって、最近言われるようになった高齢者の言葉は、「これからは死ぬ時も一人ですね。それは覚悟しますが、最後のお願いとして、早く見つける仕組みを創って下さい」という切実な声が聞かれるようになってきました。

その声が厚生労働省に届いたのかどうかは定かではありませんが、今年度の国の新規事業として「孤立死(国は孤独死はマスコミ用語として使わないようにしているようです。実態は同じ。)防止推進事業」がスタートしました。

狙いは2つあるように思います。孤独死を予防するにはどうすれば良いのか、もう一つは孤独死が発生した場合の早期発見の仕組みはどうつくれば良いのか、です。

具体的な対策としては、屋内の通り道にセンサーを設置する、緊急通報システムを充実させる、地域での見守り活動を重視する、コミュニケーションづくりの工夫をする、など多様な方法が考えられますが、多様なニーズに対応できるような柔軟な仕組みが求められているように感じます。

私たちは何れかの市町村(地域)でシニア人生を送ることになります。孤独死の予防も早期発見もその舞台は「地域」そのものです。それぞれの地域でどのような仕組みをつくるか、が問われるようになって来ました。

鮭の遡上と人生

(通信2007-11月号から)

今年もまた北の大地に多くの鮭が故郷の川に戻る季節がやってきました。

因みに11月11日が鮭の日、というのをご存知でしたか?もともとは新潟県村上市が提唱し、平成15年から全国的に鮭の日として制定されたとか・・・。

それはさておき、毎年秋の到来とともに鮭の遡上を耳にするたびに、もう大分前になりますが余市川のあゆ場付近で鮭の遡上を目の当たりにした時のことを思い出します。

河口付近から何も食べずに傷だらけになりながらひたすら川の上流をめざしている鮭の群れ。そして産卵を終えて、水カビで白くなった体を川面に浮かべながら力尽きて死んでしまった鮭をじっと眺めていると、突然胸が感動で突き動かされ、涙が滲み、溢れ出たことを忘れることができないのです。

それ以来、鮭の遡上を見るたびに深い感動を覚え、いつしか自分の人生に置き換えているのに気づきました。

故郷の川を離れて日本海からベーリング海やアラスカ湾まで回遊し、3年から6年をかけて自分の生まれた川に戻ってくる鮭の群れ。毎年9月から12月にかけて河口からは餌を一切とらないで川を遡上し、最後の目的である産卵を果たすと「ほっちゃれ」(腐りかけた鮭で不味くて食べられない=北海道弁)となって熊や鳥の餌となって自然に回帰します。

言わば子孫を残すために、生まれた川から長旅に出かけ、成長とともに故郷の川に戻って産卵を果たす、という鮭の一生は私たち人間の視点から見ても深い感動を覚えるのです。必死に生きようとする力、そして目的を果たして自然に回帰する川面に浮かぶ死体・・・。

さて、私たち人間の一生はどうなのでしょうか?生き物の最大の課題は如何にして子孫を残すか、が全ての命題と言われていますが、我が人間はその本能さえ見失いつつあるようです。

京都の西陣で生まれたぼくが信州長野県、上州群馬県を経てさらに北上を続けて北の大地に根を下ろして22年の歳月が流れます。

「ほっちゃれ」になって故郷に戻るのか、北の大地で息絶えるのか、自分でもよくわかりませんが、今年もまた鮭の遡上を見て感動を味わい、鮭のその姿から人間として何かを学びたいと念願しています。

廃用性症候群

(通信2007-12月号から)

虚弱状態になる年齢のキーワードは80歳と言えるかも知れません。70代までは何とか家事を自分でこなし、家族に迷惑や負担をかけることもなく自立した暮らしを続けていたのに、80歳台への突入を契機にして身体機能が低下して虚弱状態に陥る高齢者は多いようです。

介護保険の要支援クラスは80歳前半が多いと言われていますが、大台突入がキッカケになって家事を自分でする意欲が衰えはじめ、それによって行動も鈍るようになり、そのような自分自身の変化を80歳と言う年齢で正当化する、という傾向は周囲にありませんか?

自分自身今年の初めに心臓の鼓動を自覚するようになりましたが、だからといって行動を抑えて安静に心がけることは、体力の低下と共に意欲も低下させることになってしまうことを危惧して逆に運動療法に力を入れています。

そのように加齢や病気をキッカケにして過度の安静状態にすることにより筋力が衰え、1週間で10%~15%の筋力低下が起ると言われています。そのような筋力の低下がより一層活動を低下させることになって悪循環に陥り、ますます全身機能の低下につながっていくケースが多いようです。

そのように安静や活動性の低下によってもたらされる身体に生じた状態を廃用性症候群と呼びます。では、それを防ぐにはどうすれば良いのでしょうか。

単に介護予防に力を入れなさい、と叫ぶだけでは何の解決にもなりません。そうです。加齢に関係なく意欲的な人生が送れるような生き方、人生設計こそ、必要ではないでしょうか。

虚弱になっても、自分の足で歩きたい、自分で食事をつくりたい、外出したい、と言う積極的な意欲があってこそ介護予防、リハビリの効果が出るものです。意欲なき介護予防はあり得ません。意欲付けもしないで介護予防やリハビリをしょうとする介護保険のあり方にこそ、課題が潜んでいるように思えてなりません。

何歳になろうとも、積極的な人生が送れるような老後のグランドデザインづくりが問われていることを再確認しましょう。そのためにどのような生き方をすれば良いのか・・・。そんなことを年の瀬にじっくり考えながら新しい年を迎えたいものです。そんな生き方を「シーズネット人生」と呼びたいものです。

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