岩見太市遺稿集『豊寿語録』-2009-
少子高齢社会の新たなシニア人生の生き方、考え方・・・・
さまざまなシニア人生を取り巻くドラマを、皆様と一緒に考えたいエッセーです。ご意見・ご感想をお待ちしています。
チェンジをチャンスに!
(通信2009-01月号から)
新年明けましておめでとうございます。本年もシーズネットの主体的な活動に積極的にご参加下さることを期待しております。
いよいよアメリカ第44代大統領に黒人初でオバマ氏が就任が決まりました。オバマ氏が選挙期間中キーワードとして訴えていた「チェンジ=変革」をどう具体化するかが、問われようとしています。
あの自由主義大国アメリカが行き詰まり、新たな時代の到来を予感させたのがオバマ大統領の誕生だと思いますが、フッと考えるとわが国も似たような状況下にあり、そのような中で私たちが推し進めているシニア層の新たな人生設計づくりもまさにチェンジの過程にあるように思います。
環境的には家族機能の極端な低下、社会保障の制度では病院・施設から在宅介護・在宅医療の流れが急ピッチで進み、市町村財政の硬直化もあって、シニア層の生き方も大きく変わらざるを得ない状況にあります。過去の価値観から比較すれば明らかに暗い、マイナスイメージでその変化を捉えてしまいますが、新たな生き方づくりからすればむしろプラスイメージで大きなチャンスとして捉える必要があると思っています。
何故なら従来の価値観なら家族という狭い範囲での暮らし方で孫の世話をしたり、家事を担い「老いては子に従え」というのがシニア層のイメージでしたが、これからは自立した「個」として地域と結びつき、それぞれに合った人間関係を構築して、自分自身の活動の場を確保し、居場所をつくり、主体的に生きることが十分可能な時代背景が到来したと見るべきだと思います。
シーズネットの活動が芽吹いて9年目を迎えようとしています。札幌の片隅で誕生したシーズネット活動は北海道全体に拡大し、津軽海峡を超えて京都市内、三重県四日市市、そして山形県鶴岡市と各地にシーズネットの巻いた種が芽を出し、広がりを見せています。いつの時代でも変革時期はチャンス到来という見方こそ、前向きな人生につながるのではないかと確信します。
新たな人と人との結びつきを志向し、地域の中で自分自身の居場所と存在感を確立し、豊かなシニア人生を共に歩みたいと祈念しています。その人生は孤立した暮らしでは絶対実現しません!人とつながり、自己の存在感を示すところからスタートしなければなりません。
今年1年、さらに飛躍した活動を会員の方々と手を携えて実践し続けたいと思っています。
「ひとり暮らし高齢者」表現する
(通信2009-02月号から)
昨年は上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」がベストセラーになりましたが、高齢者に関わるさまざまな問題を考えていて、フッとひとり暮らし高齢者が今後ますます当たり前の生活光景になるのに、それを表現する相応しい言葉のないことが気になりました。
ひとり暮らし高齢者、単身高齢者、独居高齢者などいくつかの言葉がありますが、どうもフィットしません。過去を紐解いて出てきた言葉が未亡人。この言葉はまさに男社会時代の名残で、主人に先立たれた女性は早く亡くなるべきなのに、未だ亡くならないひとり暮らしの女性を意味するとか・・・。そして後家さん。これも家時代の家族の名残だと感じます。
そして男女共通語で浮かんだのが「やもめ」。江戸時代の有名な「女やもめに花が咲き、男やもめにウジが沸く」という言葉は現代にも通じそうな表現ですが、どうも老後のひとり暮らしを表現する明るい言葉がありません。特に男のひとり暮らし高齢者を表現する言葉は見当たりません。
我が国の過去の歴史の中でひとり暮らしの高齢者が暮らす光景は殆どなかったのでしようか?家族の存在がそれだけ大きかったと言えるかも知れません。
私たちシーズネットにもひとり暮らしの高齢者の方々のグループがあり、最初はひとり暮らし高齢者の集いと呼んでいたのですが、どうも言葉のイメージが暗いので、今では「シニアシングル」という横文字を使っています。
これからの日本の社会はますますひとり暮らしの高齢者が増える傾向にあります。そのような暮らし方をいつまでも独居高齢者と呼ぶのは、相応しくないと思いませんか!
何か明るい言葉で、ひとり暮らしの高齢者の方々を表現する言葉を創る時期に来ているのではないかと痛感していますが、どなたか考えて頂けませんか。うまくフィットすれば新しい言葉として直ぐ普及することは間違いないと確信しています。
北海道ではかつて作家の渡辺純一が5月の北海道の気候を称して「リラ冷え」と表現して道民の間に普及したり、堺屋太一が「団塊の世代」と言う言葉を造語して定着したように・・・。
何とか今年中に、ひとり暮らし高齢者の新しい言葉が世に出ることを祈念しています。それともシーズネットで考えましょうか!
居場所づくり
(通信2009-03月号から)
子育てや仕事人生が終わったこれからのシニア層にとって、自分の存在感が示せる居場所はどこでしょうか?今までは多くの場合、家庭内にあったような気がします。孫の面倒を見る、それなりの家事の一部を担う、などがそれに該当しましたが、核家族化が進む昨今の家族環境の中では、家庭内に居場所を見つけることは難しい時代背景にあります。
過日、私たちシーズネットが運営している地域交流サロン「このはな」で、次のようなことがありました。
近くの公団住宅に住むひとり暮らしの女性の高齢者の方で、勿論シーズネットの会員の方です。会員になってから家の中での閉じこもりを避けるために、毎日のようにサロンに来られて、さまざまな趣味活動や人との会話を楽しまれています。
ところがある日、体調が悪いのか表情が暗く、脈を測ると除脈になっており、明らかに異変が起こっている感じ。周囲の人々が診療所に行こうと進めましたが本人は「昨日行ったばかりで異状はなかった。家に帰って休めば良くなる」と言って帰ろうとします。本人が帰ろうとするのを周囲の仲間が近くの主治医になっている診療所まで同行した結果、即救急車を呼ばれて入院し、心臓ペースメーカーのはめ込み手術をされて元気を回復されました。
後日娘さんから「シーズネットに入っているお陰で助かりました」とお礼の言葉があったと聞きました。本人が言うように、もし安静するために帰宅しておれば、孤立死間違いなし、だと感じます。また、本人にサロンと言う居場所がなければ、多分公団住宅内の自宅でひっそりと過ごす機会が多く、異変が起こっても気がつかないで、やはり孤立死につながる危険性が高かったのではないかと思われます。
自分の居場所は自宅とか、趣味活動にあるのではなく、地域社会の中で他者と関わることが大前提であることを、先ほどのケースは教えてくれています。
シーズネット活動を例にとれば、事務所に定期的に出入りして自分なりの役割を果たすさまざまなグループの内、自分に合いそうなグループを見つけて、同じグループメンバーとのコミュニケーションを大切にする、先ほどの例のようにサロンの常連となって周囲の仲間たちに自分の存在感を示しておく、などさまざまな方法が考えられます。そのようなコミュニケーションがあれば、何かあれば直ぐ連絡が入ったり、また連絡をしたり、SOSを発信したりして、助け合うことができると確信しています。
あなたはシーズネットの中に居場所をつくっていますか?どこか、あなたの居場所はありますか?
果たせなかった再会
(通信2009-04月号から)
~渓仁会グループ創業者の死を悼む~
昭和61年3月27日早朝2トントラックに家財道具を積んで小樽港に着いたところからぼくの北海道人生が始まりました。
就職先は医療法人渓仁会西円山病院。総合病院である手稲渓仁会病院の開設を翌年に控え、法人は活気に満ちていましたが、4月1日からの西円山病院でのぼくの肩書きは「医療福祉研究室主任」。そして加藤隆正理事長からの指示はただ一言、「地域活動をしてくれ」でした。
知人友人、親戚など知っている人の全くいない北の大地でのスタートでしたが、やがて病院内でのボランティアグループ「銀の舟」の事務局業務、病院見学団の対応、そして対外的な広報誌「健康なかま」の発刊などが認められて半年後に医療福祉課長となり渓仁会グループに初めてソーシャルワーカーを配置して相談業務を担うことになり、やがて法人の医療福祉部長となって20名以上ソーシャルワーカーを採用して渓仁会グループ全体に配置してネットワーク体制をつくることになりましたが、それも加藤理事長の意向に沿うものでした。
当時から「医業はサービス業」である、と主張されていました。今では当たり前のことですが、当時は「ボランティア」「サービス業」といった言葉を医療の世界に使うことはありませんでした。
暗い老人病院から脱皮して、明るく活気のある老人病院をつくろう!と常々仰っていたことが、懐かしく思い出されます。
いろいろな企画を持ち込むと、「やりたければやればいい」との言葉。手稲ふれあいボランティア、配食サービスふれあいフーズ、民間緊急通報システム事業などを手がけることができました。
介護保険が始まる前の年、札幌市からの依頼で札幌市社会福祉協議会への転職の話があった時も、「行って頑張ってこい」と送り出して下さり、その後もずっと見守って下さっていました。
加藤理事長が渓仁会グループの会長に退かれ、表舞台に顔を出されなくなった後も、心の中でその存在が気になり、シーズネットの活動をしている時も何れ加藤理事長との再会を果たして、「お蔭様で今もこんな活動をしています」と報告してお礼を言いたいと念じていました。
加藤理事長から言われた心に残る言葉。「岩見、お前はなあ、企画力、実行力があることは認めてやる。だけど金儲けの仕組みは全くわかっていない。」ぼくにとって偉大な恩師とも言える加藤隆正氏が去る3月19日に急性心不全で急逝されたとの連絡は、あまりにも大きなショックでした。
加藤前理事長の存在を心の拠り所として、いつの日か再会できることを楽しみに日々取り組んでいたのに・・・。享年65歳合掌
家の鍵
(通信2009-05月号から)
私たちシーズネットが札幌市の委託を受けて「さっぽろ孤立死ゼロ推進センター」を立ち上げ、孤立死の予防や早期発見などの仕組みづくり、市民への啓蒙活動などを行って約1年半になります。
そしてその根っこにあるのが市民の暮らしの孤立化があり、それを防ぐには「地域における人間関係づくりをどう進めるか」がテーマになっていることは間違いありません。
そのような活動の中で人間関係は難しいとしても、互いに意識し合う関係をつくり、さり気ない安否確認などの見守り活動(電気の点灯や消灯カーテンの開閉・新聞受けのチェック)を行うことや家の中で急病など身体状況が急変した場合の周囲への緊急通報の仕組みの大切さが明確になってきました。
そこで大きな課題になってきたのが、家の中に入る方法です。見守りにしても急変にしても、その異常は全て屋内で発生し、誰かが家の中に入らないと確認もできませんし、対応もできません。例えば家の中で心筋梗塞になり、必死で救急車を呼んでも、救急隊は必ず玄関のドアを開けて置いてください、と指示します。玄関が開かないとレスキュー隊の出動を要請することも稀ではありません。
ところが最近は賃貸のアパートやマンションでも合鍵を持たないところが増えています。例えば札幌市営住宅を管理している札幌市住宅管理公社でも合鍵は一切保管しないことになっています。
そのような状況の中で、万が一のことが次第に浸透してきたのか、最近ではマンション管理組合で希望者の鍵を預かるところが散見されるようになってきたり、例えば市営住宅の仲の良い入居者同士が互いの鍵を預かりあいっこするなどの新しい動きがボツボツ出始めてきました。
少し前までは、家族以外で自分の家の鍵を預ける、ということは考えられませんでしたが、老夫婦やひとり暮らし高齢者の増加によって、家の中での暮らしの自己防衛策の一つとして鍵の問題が次第に表面化してきたように感じています。
もし核家族化の進む中で、家の中で困りごとが発生した場合は、人間関係で解決するのか、その地域の中で解決する仕組みをつくるのか、が問われる時代が間近に迫っているように思えてなりません。
さて、そのような状況になったとき、あなたはどのような方法で解決しますか?
今こそ連帯を!~10年前と10年後~
(通信2009-06月号から)
介護の問題を家族から解放して社会保険による介護の社会化をめざそうとスタートした介護保険は2000年にその歩みを始めました。そして、その翌年2001年に私たちNPO法人シーズネットが北の大地で産声をあげました。
当時介護保険のスタートによって「必要な時に必要な介護を受けられる、家族は介護から解放される」とバラ色のようなイメージでコマーシャルされていたことを今も鮮明に思い出します。
また、自立と認定されて介護保険対象外になっても市町村独自施策として家事支援を行うことが当たり前になっていました。
そして10年が経過して・・・。介護保険が厳しさを増して、家族介護に再び寄りかかろうとしており、施設入居はより困難になっています。サービス利用も内容、時間とも大幅な制約を受けるようになり、反面自己負担金は増えています。医療保険でも長期入院の制限や介護療養型施設の廃止など、社会保障施策はこの10年で大きく様変わりしました。
その結果として老々介護、介護殺人や自殺など悲惨な事件が起こっています。
団塊の世代が加齢するこれからの10年、わが国の社会保障は厳しい予測はできても、楽になる予測はとても立てられないような気がします。
結局は自己責任で解決せざるを得なくなるのでしょうか?
そのような時代の流れの中で、私たちシーズネットの果たす役割は何なのでしょうか。シニア人生を楽しく過ごすことは勿論大切なことですが、心身の機能が低下した時に、どこで、誰の世話を受けて安心して暮らし続けるかを考えておくことも極めて大切になっています。
シーズネットの目標は健康な時だけではなく、体が弱くなり、虚弱なっても関わっていれば安心だ、という団体にすることです。
その基本は私たちが孤立した生き方をしないで、とにかく結びつき、連帯感を持った生き方をすることであり、その拠点としてシーズネットが存在しなければならない、と考えています。
会員同士の和、と同時に地域や社会とも結びつき、要介護状態になってもシーズネット会員になっておれば安心だ、と思える連帯意識を持った団体にすることが、シーズネットの役割ではないかと痛感しています。
おひとりさま、安心ネット
(通信2009-07月号から)
「人生最後はひとり暮らし」という住まい方が少子高齢社会では当たり前になりつつあります。核家族化が進み、親子の世帯が分離していく傾向の中で、老後の暮らしは老夫婦、そしてひとり暮らしと言う形態での豊かさや安心感をどう確保するか、がテーマになっています。そして、その延長線上に孤立死という問題が横たわっているのは周知の事実です。
ひとり暮らしという形態では、もし家の中で何か突発的な事故が起こったり、急病になるなどの異変が発生した時に、周囲に誰もいない結果として誰にも看取られずに命を落とす事例が増えているのは、そのような生活環境の変化が背景にあると感じています。
そのような状況の中で、ひとり暮らしを少しでも安心して暮らすために北海道や京都のシーズネットで行っているのが、定期的な電話や訪問による安否確認とコミュニケーションによる「安心ネット」の活動です。
人間は当然のことですが、人と人とが関わり合いながら生きていく社会的な動物であり、集団で生きていく動物です。
ところが昨今の地域社会は住民同士の暮らしが孤立化の傾向があり、人が人との関係を避ける傾向にあります。本来なら関わり合い方についての取り決めが必要なのに、そこを飛び越えて人間関係自体を拒絶する傾向にあるようです。
唯一心が結びついている血縁関係も別世帯のため、余計孤立傾向が顕著になっています。せめて同じシニア世代として、対等な関係で互いの存在を意識し合う具体的な行動として、電話による安否の確認で安心を得たり、月1回程度は一寸した会話でコミュニケーションを取るだけでも、大きな価値があると感じています。
お互い孤立はしない!ために、安心ネットの輪に入り、毎日とまではいかなくても週1~2回は誰かと接し、誰かとおしゃべりできるような人生設計を描きたいものです。
シニア人生は心身機能が元気な時だけではなく、虚弱や要介護状態になることも生ある動物として考えなくてはなりません。例え、そのような状態になったとしても、そのようなコミュニケーションを継続することにより、暮らしに安心感が得られるのではないでしょうか。
そして、その活動が当事者によるひとつのソーシャルビジネスとしても成り立つような活動になれば、シニア人生の地域ニーズを解決する新たな事業スタイルとしてビジネスモデルになるような気がします。
「相談→情報→評価」の仕組み
(通信2009-08月号から)
かつての社会福祉の基本理念は保護救済、弱者救済でしたが、今の社会福祉法の基本理念は自立支援です。即ち、自分の意思を第一義に捉え、自己決定を大切にする考えですが、そのことは自己責任にもつながってきます。
故に現在の社会福祉の自立支援を実行するには、利用者の方々が正しい自己決定ができるような施策が求められています。
私たちが、いろいろな商品を自分の意思で買うには、その商品の品質や生産地、価格などの情報が消費者に伝わっていることが大前提になります。
介護保険は社会福祉法の理念に基づいて制度化されていますが、未だに利用者が介護支援専門員や介護サービス事業者を選べる仕組みはできていません。制度的には選択権は利用者にある、と言いながら、実際は措置時代の延長のような仕組みになっており、むしろ選択権は介護サービス提供者にある、と言っても過言ではありません。
いま大きな社会問題になっている民間事業者による高齢者向け介護付住宅にも同じことが言えます。
介護保険など公的な制度による介護付住宅ではなく、建築基準法に基づく一般的な集合住宅に、介護サービスの提供を付加する高齢者向け住宅が増加していますが、それらの住宅に関する公益的な相談機関、自己決定できるような情報提供、さらに、それらの住宅の安心・安全度を示す評価の仕組みは何もないのが現状です。
制度的には一般の賃貸住宅と同じシステムのため、行政も介入できず、劣悪な暮らしの場であったとしても自分の選択が悪かったと言う自己責任で処理されてしまいます。
本来なら、介護保険制度で入居できる施設に入りたいのに入れない現実の中で、在宅での暮らしが困難な場合は、施設の代替的な住まいを考えざるを得ない高齢者は数多くおられます。
そのような方々に、公益的な立場から、それらの住まいに関する相談の場を設定すると同時に、それらに対応できるような情報の収集と提供、さらに質を担保するための評価の仕組みまでを構築して、幅広く市民に提供するシステムこそ求められていると思います。
私たちシーズネットは、長年にわたるその課題に対応するために、行政や他の団体とも連携しながら、当事者の立場にたって、民間事業者による高齢者向け介護付住宅の相談→情報→評価への仕組みに向けての未知への挑戦の一歩を札幌市内で踏み出します。
私たちシニア人生の安心・安全な暮らしを自分たちで確保するためです。
2つの事例に思う
(通信2009-09月号から)
最近相談を受けた2つの事例が気になっています。
ひとつは海外で生活をされている一人っ子の娘さんから札幌市内のマンションでひとり暮らしをされている虚弱なお母さんの暮らしについてです。
お母さんは介護保険では要支援に該当して地域包括支援センターの世話になっているとのことですが、娘さんは毎年夏の期間1ケ月程度日本に戻るのが精一杯、とのことです。
その間のお母さんの娘さんに代わる代弁者の存在、安否確認などの見守り活動、そしてひとり暮らしが困難になった場合の住まい方の問題などについて、現在の制度や仕組みについての相談でした。
もう一つは学生時代の後輩からで、広島市在住の母とひとり息子についてでした。要介護1の母親の面倒は未婚のひとり息子が毎日実家に来て食事づくりや入浴の介護など生活全般の世話をされているとのことでしたが、その息子さんが余命1ケ月の癌と宣告され、息子さんから何とか生存中に母親が安心して暮らしていける方法を確立したいので、その方法を教えてほしいとの相談を受けた、という友だちからの連絡でした。
そのどちらも一人っ子からの母親の人権や権利、更に生前から死後に至る家族に代わって代弁者的な立場で対応してくれる人の存在です。制度的には成年後見制度や死後のことは遺言などの仕組みがありますが、それらで全て解決できるとはとても思えません。
そして、その背後にあるのは従来は家族関係で当たり前の如く解決されていたものが、困難になっていること。さらに家族がおられても本人の自立を阻害された場合の対応など、さまざまな問題が顕在化しつつあります。今の時代は自立がベースになっています。自立とは本人の意思です。こう生きたい、財産はこう分与したい、と言った本人の意思を中心にして、本人がその意思を貫けない場合に、それを支援するのが福祉の基本理念になっています。
どちらの事例でも娘さんや息子さんが不在になったとしても、本人が心安らかに、そして豊かに過ごしていけるようなサポートの仕組みがないと、本当に豊かな少子高齢社会という時代は到来しないでしょう。
少子高齢社会では家族がおられなくても、本人が安心して豊かに暮らせるための制度や仕組み、さらに地域関係をつくることだと、つくづく感じます。
旧態依然とした枠組みの中で考えること自体が、不安や心配や混乱を起こすことになると感じます。新しい価値観による制度や仕組みの導入と地域での豊かな人間関係が、解決の糸口になるような気がします。
張りのある暮らしとストレス
(通信2009-10月号から)
高血圧の薬を飲み始めてかなりの歳月が経過していると思います。その病気以外は落ち着いていると自分では思っているのですが、ここ数年生活習慣病以外の病気に見舞われることがあります。
かつて持病だと思っていた腰痛に悩まされることはなくなりましたが、3年前に2週間ほど突然声が出なくなり、急性咽喉炎と診断されました。そしてその原因はストレスではないか、と言われました。
さらに最近は時折左下腹部が急に痛くなったり、チクチクした痛みが断続的に襲ってくることがあります。過去、そのような症状はなかったので慌てて内科医に受診に行くと、最近ストレスを感ずるようなことがありましたか?との質問を受けました。病名を聞くと過敏性腸症候群ではないかとのことでした。
これもまた加齢によってストレスに耐える力が低下しているのでしょうか、最近は何か体に異変が起こって受診するとストレスが疑われます・・・。
私たちはこれからのシニア人生では単なる趣味活動だけではなく、地域社会と関わり合いを持ち、自分自身の居場所を持って存在感のある生き方をしましょう、と言うシニア人生の意識啓発活動を行っています。
地域社会と関わると言うことは、そこに必ず人間関係が発生し、何らかの役割を担うことになります。日々の暮らしに多少の緊張感があって、張り合いがある日常生活とは多分そのような暮らし方だと思います。
そしてそのような暮らしには必ずと言ってよいほどストレスが発生します。
ぼく自身はストレスと言われても、今ストレスがあるのかないのか、あるとすれば何が原因なのか、と聞かれても応えることができず、首を傾げてしまいます。
自分自身で自覚できないのでしょうか?
では具体的にこれからのシニア人生をどう生きれば良いのでしょうか?
まずストレスのない人生って考えられません。生ある限り、前向きに生きるためにはストレスと向き合わなければならないと自覚しています。ただ、ひとつの人生に夢中にならないで、逃げ道を創っておくような生き方をすること、気分転換ができる趣味活動や暮らし方を創っておくこと。例えば藻岩山に登るとか、温泉に行くとか・・・。
いつまでそのような生き方かできるかどうか、わかりませんが、とにかく今しばらくストレスを抱え込んだとしても、少しでも前向きに生きる張り合いのある暮らしを続けたいと念願しています。
豊かなシニア人生3つの視点
(通信2009-11月号から)
シーズネット活動を通じて、シニア人生の新たなグランドデザインを描くことを目的に、さまざまな活動を続けてきました。開設から来年度で10年という節目を迎えることになり、当面の成果として、次の3つの視点でまとめることが必要ではないかと思いつつあります。
- 会いたい人がいる・・・仲間づくり
シーズネット活動の基本に、これからのシニア人生を孤立しないで、必ず誰かとつながった生き方をしよう、というコンセプトがあります。良き人間関係をつくることが、豊かなシニア人生につながります。
家族だけではなく、良き友だち、知人と積極的に関わる人生こそが必要になってきます。とにかく孤立しない生き方をすることです。 - 行くところがある・・・居場所づくり
現役時代は職場とか家庭とか、それぞれの居場所があり、拠点がありました。
ところがシニア人生になると、退屈な時に気軽にフラッと行ける「場」づくりが極めて大切になってきます。行き場がない人生になるとパチンコ店に通ったり、町中をたださすらったりする、覇気のない人生になってしまいます。 - することがある・・・存在感(役割)づくり
人間は基本的に誰かの役に立つ社会的動物であることに、特徴がある筈です。現役時代は仕事であれ、子育てであれ、それぞれの存在感があり、役割を持って生きていましたが、そのような世代が終わった後の自己の存在感をどう形成するか、問われます。一般的には生きがい、とか社会貢献とか言われていますが、要は自分と言う人間の人間たる所以をどう明らかにするか、でしょうか。
以上の3つの視点を日々チェックしながら暮らすことが大切な気がします。一般的にはサロンにその場を求めるのが普通ですが・・・。
「何処どこに行けば誰かがいて、誰かとお喋りができて、何かすることがある」と言う「場」です。
しかも、その場は、今までのシニア人生では家庭内にあったのですが、少子高齢社会では地域の中に求めなければならない、と言う課題があります。
3世代、4世代が同居している家庭では、孫の面倒を見たり、家事を手伝ったり、それなりの役割が家庭内にあるため、地域とつながる必然性はありませんでしたが、現代のように家庭内には夫婦のみ、或いはひとり暮らしという世帯では、家庭内に自己の存在感や居場所を求めることが難しくなります。
絶えず1.から3.を反芻することによって、人生設計を描く生き方が大切な気がしていますが、如何でしょうか?
趣味の社会化
(通信2009-12月号から)
過日札幌市内のある区役所主催の介護予防を目的とした「はつらつ講座」が開催され、講師としてその講座に参加させて頂きました。シニア層の方々に生きがいを持って暮らして頂くために、自分に合った趣味を持つと同時に、その趣味を地域に活かす方法を考えましょう、という趣旨の講座でした。
ゲストとして紙飛行機づくりを趣味に持っている方が、児童館などで子供たちに紙飛行機づくりの指導をして喜ばれている事例や、壊れた玩具を治すボランティア活動を通じて子供たちと交流する事例などが、その具体例として紹介されました。
シニア人生にとって趣味を持つことは極めて大切なことですが、個人的なレベルに終始して、その成果を地域や社会に還元する発想はまだ十分とは言えないと思います。
私たちシーズネットでも北海道ではシーズネット合唱団が老人ホームなどの福祉施設や地域のイベントでボランティアとして参加して喜ばれています。シーズネット京都でもアンサンブルが老人福祉センターなどに出向いて訪問演奏活動をしています。
メンバーもそのような発表の場があること自体が例会などでの練習の励みになるようです。
そのように考えると、これからの趣味活動は個人的なレベルでの楽しみだけで終わらせるのではなく、その成果や果実を地域や社会での活動と結びつけることによって、自己の存在感も高まり、生きがいづくりにもつながるのではないかと思います。
シニア人生では現役世代とは異質の役割づくりが必要になってきますが、それは必ず地域と結びついたものでなければならないと思います。
- 趣味として持っている技術を地域の人々に教える。
- 地域の中で発表の場を持つ。
- 趣味サークルをつくることによって活動の輪を広げる。
そのように趣味活動を一寸工夫することによって、新たな活動が芽生えたり、新しい展開が可能になってきます。特にシニア男性の方、自分の持っている趣味や特技、技術などの活用について考えて頂ければ、新たなシニア人生が広がってくるものと思います。
シーズネットの各グループやサークルも、地域や社会還元について考えてほしい、と思います。