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豊寿語録 -2011

岩見太市遺稿集『豊寿語録』-2011-

岩見太市

少子高齢社会の新たなシニア人生の生き方、考え方・・・・
さまざまなシニア人生を取り巻くドラマを、皆様と一緒に考えたいエッセーです。ご意見・ご感想をお待ちしています。

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

これから必要な3つのボランティア

(通信2011-1月号から)

皆様方と新しい年2011年の訪れをお祝いしたいと思います。ただ、我が国は団塊の世代が65歳以上になる2015年に向かって走り続けており、私たちはその時代を豊かに生きるために、それぞれの地域で市民の力も問われる時代になってきたように思います。

新年を迎えて、そのような時代を豊かに生きるために必要な3つのボランティアを提言します。

  1. 看取りボランティア

    これからは病院で人生を全うすることが困難になり、在宅や高齢者共同住宅で人生を終えられる方も増えてくると思います。家族介護も難しい時代、終末期にある方々を近くで見守り、話し相手になって下さる「看取りボランティア」の存在がこれから必要になると思います。医療や看護、介護だけではなく、人として終末期を支えるボランティアの存在は欠かせないと思っています。

  2. 市民後見ボランティア

    我が国に後見制度ができて約10年になろうとしていますが、法定後見も任意後見も伸び悩んでいるように思われます。認知症になられたり、加齢による意思能力の低下によって財産管理や人権擁護などいろんな分野でその方の代弁者として支えなければならないニーズは高いものがあります。後見制度でカバーできない多くのそのような方々を、「市民後見ボランティア」と言う立場で守る仕組みをつくらないと、今の高齢社会は乗り切れないと思っています。

  3. コーディネーターボランティア

    友だちもつくれず孤立した暮らしをされているシニアの方々が多くおられることは周知の事実です。そのような方々の中でも、自分自身で何とかしたい、とか、友だちを見つけたい、と思っておられる方々に必要な団体や機関、組織を紹介する「コーディネーターボランティア」もこれからそれぞれの地域社会の中での必要性が高くなるのではないかと思っています。

今後ボランティアの世界も従来型のボランティアではなく、例えば以上のような新しいボランティアのニーズが高まってくると思います。私たちシーズネットもNPOとしてそのようなボランティアの育成、運営の一歩を踏み出したいと念願しています。

第3の終の住まい

(通信2011-2月号から)

孤独死問題を真剣に考えていくと、理想的な死の迎え方って何だろう、という課題に直面してしまいます。と同時に、そのステージはどこだろう、というテーマも浮かんできました。

ぼく自身が今マンションライフのため今のシニア層の住み替えブームの裏側で、今住んでいるところを終の住まいにするには、どうすればいいのか、と言う課題を考えて一部機関紙にマンションの空室を管理組合が購入してその家をマンションの介護室にして3~5名程度の方が入れるようにし、同じマンションの要介護の高齢者の中でこのマンションで人生を全うしたい方がおられたら、その介護室に住み替えてもらう仕組みがつくれないか、とマンション住人を対象にした講演会などで提案させて頂くことがあります。

単なる構想段階で具体的なイメージやシステムづくりは今後の課題ですが、一部住民の方々から賛同の声を頂くことがよくあります。

マンション内の人間関係づくりが活発になっていけば、当然その継続の先として、そこでの人生の終え方も必要になってくると思っています。

この課題はマンションだけではなく、戸建地域でも同じテーマがあります。ひとり暮らしの方が戸建住宅に住み続けることは難しいと思います。しかし、地域の中で要介護の方々が共有できる住まいがあれば、住まいは変わりますが、人間関係や地域を変えないで人生の終末期を過ごすことができるように思います。

また、そのような場であれば、地域の人も気軽に訪問して話し相手や見守り、さらに看取りも可能になるのではないでしょうか?

即ち病院や施設でもない、しかし在宅でもない、第3の終の住まいの仕組みを地域の中でどう構築するかが課題になってくると感じています。

最近高齢者専用賃貸住宅や高齢者対応介護付き共同住宅でも終の住まいとしてのあり方が課題になっていますが、やはり第3の終の住まいへのアプローチではないかと考えています。課題は同じ住居内での人間関係の有無です。

互いに個室を持った要介護の方々が友だちでもあるボランティアに見守られながら一緒に過ごし、多くの友だちに看取られながら人生を終える光景があと10年もすれば全国各地にできるような予感がするのですが、如何でしょうか?

そのような光景が冒頭に掲げた「第3の終の住まいでの、ひとつの理想的な死の迎え方」のヒントになるような気がします。

入院をして感じたこと

(通信2011-3月号から)

60代半ばまでは病気知らずの我が人生で、病気と言えば腰痛程度でした。60代に入って高血圧症も病歴の中に入っていましたが、自覚症状はなく、勿論、入院経験もありませんでした。

2009年の秋に我が体内にがん細胞があることが見つかり、摘出手術のための入院を経験し、さらに昨年2010年にもがんの転移が見つかって再び入院を体験する羽目に陥りましたが、それらの経験を経てシーズネットの活動の中で次の3点を欠かすことができないと痛感し、その実現に向けて会員の皆様と一緒に活動したいと念願しています。

  1. 人間は人とのつながりがないと生きていけないことを悟ること

    今我が国は孤立化社会が進んでいます。NHKが無縁社会を提起し、日本人の暮らしは家族主体から個人主体に変わろうとしています。家族も含めて人に迷惑をかけたくない、との価値観がその背景にあるようです。
    もし、ぼくがひとり暮らしで身近に家族がいなければ、安心して入院生活を送ることができたのかと思うと明らかに答えはNOです。留守宅の管理、洗濯物の処理、入院保証、精神的支柱その他さまざまな現実的課題が横たわっています。
    人間はひとりでは生きられない社会的動物です。人と人とが関わり合い、迷惑をかけ合い、助け合う存在であることを互いに自覚すべきだと痛感しています。

  2. 支え合うための社会的仕組みと共助の存在が不可欠であること

    シニア人生になると加齢に伴う病気や要介護など、自立した暮らしを妨げるさまざまな出来事が起こります。かつての我が国は大家族が主体で家族同士の助け合いが主体でしたが、核家族化時代は社会保障や社会福祉など社会的仕組みで解決するか、もしくは市民同士の助け合いと言う共助の仕組みで課題を解決する仕組みがなければなりません。シーズネットの会員同士の共助で精神的にも、物理的にも支え合う仕組みがないと安心した暮らしはありません。

  3. 存在感のある生き方をすること

    孤立化の背景には地域社会における人間関係の希薄化が背景にあることは間違いありません。私たちは人間関係、人と人とのつながりを通じて社会や地域と関わり合い、誰かの役に立つ、日々の暮らしが充実するような生き方がないと1.や2.は実現しません。

シーズネットはその具体的なステージであり、実現する場でありたいと念じています。

新たな友だちづくりの仕組み

(通信2011-4月号から)

最近、インターネットを中心とした友だちの輪であるソーシャル・ネットワーク(サイトはフェイズブック)が大きな話題になっています。ハーバード大学生の発案で2003年3月にアメリカでスタートしましたが、翌年1月には日本でも交流の輪が広がり、たちまち全世界に広がっていきました。

インターネット界ではブログに次ぐヒット商品と言われています。
そこに広がるのはインターネットを通じての友だちの輪です。そんな話題を耳にすると私たちの青春時代に文通が流行った時期があったことを思い出しました。

私たちが言う町内会、地域、趣味仲間など、人と人を結びつける素材はいろいろありますが、インターネットという素材を通じての友だちづくりには、どうしても違和感があります。

私たちシーズネットの場合の友だちづくりの基本はあくまでフェイス・トウ・フェイス、即ち顔と顔を合わせる人間関係をベースにした活動になっているからです。自分には大勢の友だちがいると言って、1日中パソコンに向かう光景には賛同できません。

だからと言って、顔を合わせることを素材にした活動では限界があり、広がりも制限されてしまうことも現実の壁です。

私たちシーズネットの活動も、11年目の新しい年度に入りました。友だちづくりという原点のニーズはますます高まっていますが、その素材をどう広げて、人と人とがつながるキッカケをつくるかが、これからの重要な課題だと思います。

ソーシャル・ネットワークのようにパソコンを素材とした人間関係づくりは他にもさまざまなサークルがありますが、私たちシーズネットも趣味や嗜好だけではなく、インターネット、ボランティア、社会貢献活動そして地域など多彩な素材を工夫しながら友だちづくりの輪を広げて、これからの本格的な高齢社会を豊かに乗り切る術を創造していきたいと念願しています。

とにかく、これからのシニア人生は孤立しては駄目!人と人とがつながった生き方をしながら、高齢社会の新たな人生設計を描きたいものです。そのキーワードは・・・人とのつながり、支え合い、地域、の3つであることは言うまでもありません。

企業とNPOによる社会貢献

(通信2011-5月号から)

既にご案内の通り、NPO法人シーズネットは新しい副理事長として、札幌を拠点にして医療や福祉事業を展開している医療法人渓仁会の現役職員である奥田龍人氏を迎えて、私たちが「役割づくり」と呼んでいる事業活動の統括責任者として活動して頂いています。

奥田氏はシーズネット開設時からの理事で、ぼく自身のブレーンのひとりとしてもいろいろ関わって頂き、今回のことも医療法人渓仁会の了解も頂いていることは言うまでもありません。

この背景にはぼく自身が「がん」という病気を抱え、治療にも時間を割かなければならないことがありますが、そのこととは別に私たちNPO活動と企業や公益団体との連携、ネットワーク、提携などを強めて、新たな公共活動の担い手としてより一層社会貢献に力を入れていく必要性を感じています。

ただ、所謂NPO法が制定されてまだ10余年程度の歴史しかなく、国や都道府県、市町村など行政との協働は活発ですが、民間企業や公益団体とのつながりはまだまだ脆弱だと思っています。と言ってNPO単体で社会的な活動を行うだけの経済力や人材を抱えているところは、そんなに多くない筈ですし、我がシーズネットの力量も同様だと認識しています。

しかし、幸いなことに医療法人渓仁会からはぼく自身が元の勤務先と言う条件もあるかも知れませんが、設立当初から事務所スタッフを派遣して頂いていました。また最近までシニアの住宅相談や情報を市民に提供する住まいるサッポロ事業も他のNPO法人との協働で行って、大きな成果を上げることができました。

そのようなつながりは北海道だけではなく、NPO法人シーズネット京都の活動拠点となっている事務所やサロンも京都を中心に学生向けの賃貸住宅を提供されている株式会社ハウスセゾンが無償提供して下さっています。しかも交通の便の良い場所だけに、その経済的な効果は計り知れないものがあります。

今の時点では医療法人渓仁会以外にもシーズネットはそれらの企業や法人から一方的に協力して頂いている存在ですが、互いのメリットを高める視点も、これからより発展するために必要な要件ではないかと感じています。

大切なポイントはシーズネットの設立目的は「豊かなシニア人生」にあります。その目的に沿った多様な活動こそ、今求められており「仲間づくり」と「役割づくり」の2つのキーワードを基本に、他の企業や法人とも手をつないで活動の輪を広げていきたいものです。

シニア人生を意欲的に生きる7つの法則

~虚弱・病弱になっても積極的に生きるために~

(通信2011-6月号から)

団塊の世代が65歳代になるのが2015年とあと4年に迫っています。これからの本格的な高齢社会では健康意識だけで乗り切ることは困難になり、虚弱や病弱になったとしても、如何に意欲的、積極的に生きるかが問われる時期がまもなくやってくると確信しています。

ぼく自身の体験から、今言えることは下記の7点について意識することが大切で、健康な時から心がけるべきではないかと思っています。

  1. 人とのつながりが人を救う

    良い人間関係をつくるシニア人生の必要性は言うまでもありません。家の中を入り合い、弱みを見せ合う人間関係づくりがぼくの提案です。

  2. 家族との協働

    家族と同居されておられるシニアの方は、元気な時は別々の生き方でも問題ありませんが、虚弱になると協働関係がとても大切になります。

  3. 行き場所、存在感づくり

    多少虚弱になっても役職から退かないこと、家庭以外に気軽に行ける場があるかないか、大きな決め手になります。

  4. 体力づくり

    虚弱になれば行動範囲も狭くなる危険性があります。散歩や体操など体力の維持が行動の原点です。

  5. 日々の体験を大切に

    ぼくは癌宣告以来、日々を大切に過ごすことに心がけ、ひとつでも生きる上でのプラスを見つけ、手帳に書き留めています。

  6. 身辺整理

    日記、写真アルバムその他の個人的なものは全て処分しました。過去のレポートや自分自身の新聞記事、VTRのみ残しています。遺言は必ず書くようにすることが大切だと思います。

  7. 人間の弱さの悟り

    シニア人生は何れ死に向かいます。その恐怖心はぼく自身消えません。ましてや余命宣告を受けて以来、その傾向は強くなっています。逆にそのことを自覚して、弱みを見せ人間関係、薬など必要な力を借りることも大切です。

如何でしょうか?ぼく自身は今以上のような心構えで癌と向き合い、前向きな努力と行動力で乗り切りたいと念願しています。

人間性復興の国づくりへ

(通信2011-7月号から)

平成23年3月11日に発生した東日本大震災は未だに地震、津波という自然現象、そして放射能という人間の起こした大惨事の爪痕を残したままです。

被災者の救難作業の段階は終わりましたが、ライフラインなどの復旧から、いよいよ復興に向けてどのような対策を講ずるかが問われています。

政治家は今まで以上に東北地方を国の力で再建すると豪語していますが、本当に国家の大金を投入してハードなまちづくりを再建することが今求められているのでしょうか?

大震災が起こった当初、ぼくたち一般国民はその惨事を目の当たりにして募金やボランティア活動への参加、或いは計画停電への協力として余分な電気を消したり、買い物を控えたりする自粛ムードが漂い、いろんな形で被災者の方々を救うための思いが行動になりました。

まさに国民全体が共助=助け合い、という原点に立ったのです。

平成7年の阪神淡路大震災の時も多くのボランティアが現地に入り、ボランティア元年とも言われましたが、いつの間にか国家、行政主導の復興策になってしまい、ご存知のように仮設住宅での孤独死問題などが発生して、むしろ日本全体が孤立化への道を歩んでしまいました。

死者、行方不明で約2万7千人と言われる大惨事の教訓として、国民同士の共助の精神を取り戻し、破綻寸前の国家財政を投入して経済復興を目指すより、多少国全体の経済力が落ちても、貧しくなったとしても、国民同士が孤立しないで労り合い、支え合う国づくりこそ必要ではないかと思います。

多少不便でもお互いに耐えて助け合って生きていこう、家族同士も一緒に寄り添って生きていこう・・・これからの少子高齢人口減社会で、一番大切なことはそのことではないかと思っています。

最近の報道や国の動向を見ていると、またもや全て国がお金を出して解決しましょう、と大言壮語しています。とすれば、赤字国債の大量発行ではなく、既に予算化されているお金をカットして復興資金に回し、そのカットの部分は国民のみなさん我慢して下さい、との考えが必要になります。

支え合いの3段階

(通信2011-8月号から)

北海道ではそれぞれの地域での支え合い体制づくり事業に力を入れており、私たちNPO法人シーズネットもそのお手伝いとしてシーズネットの活動紹介を各支庁単位で実践報告をさせて頂きました。

かつては家族関係にせよ、地域社会での人間関係にせよ、自然な人間関係として存在し、成熟してきましたが、今日では意図的なサービスを創造したり、システムをつくったり、さらに地域住民への働きかけを行わないと孤立傾向になってしまう危険性を持っています。個人的な生き方にせよ、地域社会づくりにせよ、さまざまな働きかけを欠かすことができなくなってしまっています。

そのための制度や仕組みを考える場合、個人でも地域社会でも、今の置かれている環境を次の3つのステップに分類した上、それに相応しいサービスを行っていく必要があるのではないかと思っています。

第一ステップは人間関係づくりの段階です。それぞれの暮らしや地域社会の中で住民同士が交わって、友だちや人間関係を作る場、知り合う場をどう構築するか、です。さまざまな趣味サークルづくりへの支援、サロン活動の展開などがそれに該当します。

第二ステップは人間関係をベースにした共助の仕組みづくりです。この必要性は東日本大震災で日本全体がそのような流れになりつつありますが、一寸した困りごとなどに対して助け合う、支え合う活動です。それらの活動は行政主体ではなく、市民主体の共助の仕組みを作っていく必要があります。介護保険外の助け合いや地域での見守り活動など、地域の困りごとを市民同士の連帯感で解決していく仕組みです。

第三ステップは住み慣れた地域で住み続けられる活動です。いくら人間関係や共助の仕組みがあっても、加齢や虚弱によって永年住み慣れた地域から住み替えなければならない、という環境は決して好ましいものではありません。例えひとり暮らしになっても本人が希望すれば、その地で住み続け人生を全うできる地域社会づくりこそ、支え合い社会のゴールではないかと思っています。

個人の努力=自助は勿論のこと、行政による公助、そして地域住民による共助のネットワークによって,いつまでも住み続けられるモデル地域を何とか北海道でつくりたいものです。

「支え合い」という言葉の実践テーマとして、以上のステップを踏んで、その地域住民が結びつき、住み慣れた地で豊かな人生を全うできる地域社会づくりにあることを肝に銘じて行政と住民の協働作業を作り上げたいものです。

延命と生きる目標

(通信2011-9月号から)

がんを発症して以来、やたら出てくる言葉に「延命」があります。

ぼく自身抗がん剤治療を始める時に主治医の先生から最初に言われた言葉が「もし治療をしなければあなたの余命は6ケ月、治療をすれば2年です」と言う告知を受けました。要するに抗がん剤の投与を受ければ、1年半、あなたは延命できますよ、ということになります。がんに関する雑誌や本の多くに、どのような治療をすれば何年、もしくは何カ月延命できるというデーターが数多く示されており、病気治療の目的は延命にあることは明らかです。

長生きしたいのは人間の基本的な欲求ですが、その場合にぼくは2つの大きな問題について考えてしまいます。

ひとつは抗がん剤には副作用がつきもので、倦怠感、吐き気、下痢、脱毛、手足のシビレなどさまざまな苦しみとも闘わなくてはなりません。それらの副作用を受容しながら、どう生きるかを考えなくてはならないことです。もうひとつは延命治療で生きる期間が長くなったとしても、その期間をどのような生き方をするか、と言う課題です。

ぼくは抗がん剤治療を受けることに同意しましたが、日常生活を続けることができる範囲での治療をお願いしました。それによって延命に障害があって寿命が縮んでも構いません。と言う基本的な治療方針を出させて頂きました。

幾ら延命が実現したとしても、副作用に悩まされて活動ができずにせいぜい散歩やテレビを見るだけの日々では意味がないと思っています。また、治療に専念するとして、ほぼ寝たきりに近い生活での延命はぼくは拒否したいと思っています。

要は人生の最期に向かって社会的な活動をできるだけ続けられるような暮らしをし、ターミナルケアを如何に短くして終末期を迎えるか、日々考えていることです。

そのためにはキチッとした具体的な生きる目標をつくり、意欲的に行動することがとても大切になります。生きる目標が明確でないと、ついついダラダラとして無為な日々になってしまい、テレビ観賞ばかりの毎日になってしまいます。

その目標には趣味であったり、ボランティア活動であったり、また自分自身の人生をまとめる自分史の作成であったり、いろいろな側面がありますが、とにかく病弱、虚弱になっても前向きに行動できるような内容を元気な時から考えておく必要があります。そのための延命でありたいと願っています。死とは最期の生き方と深く関係しているように思える今日この頃です。

シニア人生と住み替え

(通信2011-10月号から)

いよいよ10月末から高齢者居住安定法による「サービス付き高齢者向け住宅」の登録がスタートし、少子高齢社会における高齢期の住まい方も大きく変わろうとしています。

かつては老後の暮らしは家族の世話になるか、もしくは社会福祉施設或いは介護保健施設に入居して暮らすのが人生設計として描かれていました。特に北海道は高齢者施策の中心は施設にあり、もともと介護における家族機能は低いものがありました。今でも全国の中で北海道は核家族化が進んでおり、病院や施設が多いこともあって、家族による在宅介護の割合は本州に比べると極めて低くなっています。

そのような過程の中で、今後本格的な高齢社会が到来する中で、シニア人生と住まいの問題が大きくクローズアップされようとしています。

私たちシーズネットは2001年に設立して以来、シニアの暮らしと住まいの問題に取り組んできましたが、本来ならば長年住み慣れた住まいに老後も住み続けて、そこが終の住まいになるのが当たり前の考え方でしたが、現実にそれが難しくなったことが背景にあります。子供との別居が当たり前、地域の人間関係の希薄化、そして社会保障の在宅化の流れが、その背景です。

そのような環境の変化の中で10年位前から民間事業者による高齢者共同住宅と呼ばれる介護付き住宅ができ始めました。簡単に言えば賃貸のアパマンを高齢者主体にして、食事や介護などさまざまな福祉サービスを付加価値としてつける住まいの出現です。

そしてシニアの方々も老後の住まいの拠点として、或いは施設の代替えとして利用するようになり、今回その法的な整備も始ったと考えるべきでしょう。

シーズネットではそのような情報や相談を現在行っていますが、その実態が一般市民には見えない、わかりずらのも事実です。

ただ今回のサービス付き住まいは自立した高齢者もしくは軽介護の高齢者が主体との考え方もありますが、高齢期の暮らしの中で、健康状態によって住まいを転々と変える生き方は孤立した人生につながり、決して好ましいと思いません。

高齢者の住まいは元気な時から終の住まいまで安心して住めるような仕組みをつくるべきだと思います。施設のように受け身での住まいではなく真に高齢期を自立して、しかも安心・安全な住まいができることを願っていますし、シーズネットは利用者の視点でこれからも提言を続けていくつもりです。

介護事業所と地域

(通信2011-11月号から)

早いもので介護保険制度が西暦2千年にスタートして11年になります。否僅か11年しか経過しないのに、一見国民の間にはすっかり定着した感があります。それまでの措置制度による介護では特別養護老人ホームなど公的機関が市町村の委託で介護サービスの担い手となっていましたが、介護保険制度では在宅介護については広く民間企業にも開放されたため、一気に制度が拡大した感があります。

そしてその背景にある急速な核家族化と高齢化に向かって突き進んでいる我が日本。厚生労働省のまとめでは、2011年3月末現在の要介護認定者は実に505万人と500万人を超えました。これは65歳以上人口の約17%となっています。

彼ら要介護者に対するサービスの担い手として多くの民間介護事業者が訪問介護サービス、通所介護サービス、認知症のためのグループホームその他さまざまな介護サービスが私たちの地域の中に点在し、その地域を拠点として活動しています。

要介護者へのサービスを提供するのは事業所として当然のことですが、もうひとつの役割として建物が存在する地域社会との関係です。

その地域の一般住民との関係を深めるために法的には運営協議会の設置が義務付けられ、2ケ月に1回は地域の町内会長、民生委員などを運営委員して委嘱し、地域との結びつきを強化することが求められています。

しかし、どうも一般的に介護事業所と地域との関係は確かに地域の管理者や福祉担当者などの関係者には知られていますが、一般住民との関係はキチッと深まっているとは思えません。

ぼく自身も我がマンション周辺を散策して、グループホームや通所介護サービス事業所の存在を知ることがありますが、周囲の関心度は極めて低いように感じます。運営協議会自体が形骸化しているようにも思えます。

ぼく自身かつて信州長野県で知的障害者施設を作った時には、入居者自身が積極的に地域に出て、地域住民と関わったり、まず職員自身が地域と関わるようにしてきたことを思い出します。

介護サービス事業所も介護サービスの担い手だけではなく、地域の一般住民の方々への福祉や介護の拠り所として機能し、存在することを切望しています。

2010年の我が国の総人口に占める高齢化率は23.1%になっています。介護サービス事業所は小地域住民のための地域ケアの拠点としても活動して下さるようお願いしたいと思います。

改めて感ずるシニア人生3つの生き方

(通信2011-12月号から)

丁度2年前の2009年11月号のシーズネット通信に「豊かなシニア人生3つの視点」と題する原稿を掲載しました。
要は仕事も子育てもない長いシニア人生を豊かに生きるには、①会いたい人がいる=人間関係づくり②行くところがある=居場所づくり③することがある=存在感づくりの3づくりの必要性です。

そしてぼく自身がんという病気を抱えて抗がん剤治療という全快の可能性の殆どないがん細胞と共生した生き方になっています。そのため食事にせよ、日々の行動にせよ、新たな企画にせよ、或いはさまざまな人々との接触にせよ・・・今までとは異なる大きな制約を受けざるを得なくなっています。抗がん剤の副作用、体力の低下などがその背景にあります。仕事量も大幅に減少して、日課の組み立ても大きく変わりました。

そんな暮らしをはじめてまもなく1年になりますが、先ほど述べた3つの生き方の重要性を改めて痛感している今日この頃で、講演でも大きなポイントとして訴えています。

  1. 人とつながる生き方

    シニア人生では孤立しない、特に男性はタテ型人間関係から対等でお互いさまのヨコ型人間関係に心がけとにかく自分の弱みを見せることができる真の友だちをつくり、交流していく生き方です。シーズネットの人間関係が今のぼくを支えているといっても過言ではありません。

  2. 行くところがある生き方

    毎日が日曜日の日々の暮らしで気軽に行くところがありません。街中をさすらったり、パチンコやゲームコーナーで1日過ごしている高齢女性の多いことが話題になったりします。かつてのシニア人生では孫の世話や家事がありましたが、それらがなくなった今、自分自身の居場所を地域の中でどう見つけるかが大きなポイントです。ぼく自身シーズネットという居場所のお陰で前向きに生きていることができていると自負しています。

  3. 何かすることがある生き方

    シーズネットのお陰でいろいろな公的な委員会や講演、研修の依頼、その他さまざまな仕事がきます。普通70歳ではあまり考えられませんが、単なる趣味活動ではなく、社会的な活動をすることができています。例え社会性がなくても趣味を地域に還元したり、町内会や民生委員活動などにシニア人生の役割を見出すことも必要不可欠だと思っています。

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