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豊寿語録 -2012

岩見太市遺稿集『豊寿語録』-2012-

岩見太市

少子高齢社会の新たなシニア人生の生き方、考え方・・・・
さまざまなシニア人生を取り巻くドラマを、皆様と一緒に考えたいエッセーです。ご意見・ご感想をお待ちしています。

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

地域家族の提案

(通信2012-1月号から)

2012年(平成24年)、新年明けましておめでとうございます。

700万人と言われる2015年に団塊の世代が全員65歳以上になるのが、あと3年となり、我が国の少子高齢人口減社会は本格化します。そのような社会におけるシニア人生は過去の子供や行政に頼る生き方が不可能になることは、何回も提唱してきました。

最近になってシニア層を取り巻くさまざまな事柄が社会問題になっていますが、その背景にあるのは今までは当たり前に家族が担っていたものが、家族のその機能が縮小、喪失しつつある、ということではないでしょうか?

孤立死、無縁遺体、遺品整理、死後の処理・・・今までは家族が継いでくれていたものができなくなり、シニア層自身の不安感も増幅していきます。

ボランティアの分野でも従来の福祉施設のボランティアではなく、市民後見、傾聴、看取り、見守り、サロン運営など新たな地域ニーズに基づく、ボランティアの必要性が高まっています。

今の時代は家族に代わる新たな人間関係のつながりがなく、孤立した暮らしになる傾向があり、それを少しでも打破するためにぼくは「地域家族」という言葉を提案しています。本来は家族が担っていたことを地域の力=市民力で互いに担い合いながら、血縁はないが地縁のつながりを大切にして、気の合う市民同士が家族同様の共助のある地域づくりの仕組みをつくることです。

それぞれの市町村で皆が仲良くなることは不可能ですが、気心の知れたもの同士が互いに助け合い、場合によっては共同生活も営みながら人と人とのつながりの中で暮らしていけるような地域づくり・・・。

私たちシーズネットがそのためのコーディネーター的な役割や、それを具体化するためのさまざまなサービスや社会資源を創出して本当の意味で安心して、豊かな地域づくりを行うための主体になれれば・・・との目標、夢を持って新年を迎えたいものです。

そして、何よりもまずシーズネットの会員同士が、その地域家族の結びつきを深めるための一歩を踏み出すことができれば、と念じています。

インターネットで調べても「地域家族」という言葉は、地域の力で子供たちを家族同様に育てる、という意味で書かれていますが、とにかく地域での結びつきを持った人間関係づくりが、そのスタートであることは言うまでもありません。そんな思いを心に感じながら、今年も会員主体のシーズネット活動に積極的に参加して頂きたくお願いします。

テレビとラジオ

(通信2012-2月号から)

何時頃からでしょうか、夜寝る時は習慣的に携帯ラジオを聴きながら、オートオフにセットして布団に入るようになりました。内容に関わらず大抵NHK第一放送を聴きながら眠ってしまうこともありますし、夜間目覚めた時はラジオ深夜便のエッセーや対談に耳を傾けることもあります。

テレビはニュース番組や一部のドラマ以外は意識的に見ることは少なくなりました。テレビを見ている時は、時間があってボーッとしている時かも知れません。

私たちの世代のテレビとの対面は力道山の街頭テレビから始まったように記憶していますが、小学生の頃は京都の衣笠山のNHKの中継アンテナの下で鉱石ラジオを組み立てながらイヤホンに入ってきた音声に感動を覚えたことを今でも覚えています。

ラジオでお気に入りの番組はNHKの新名作座やラジオ文芸館です。同じ日のNHK第2放送の日曜カルチャーや講演会を聴くこともあります。かつて若い頃は相撲や野球のラジオ中継でもテレビのように映像による現実感はありませんが、それだけにアナウンサーの中継放送に、聴き手の想像が働き、相撲放送に興奮を覚えたものでした。テレビは映像そのものだけに、想像の働く余地はありません。

でも、何と言ってもテレビ(パソコンも同じですが・・・)を長時間見ていると目が疲れてショボショボしてきます。歳の性でしょうか・・・。その点ラジオは目を閉じていても、神経を集中させることができれば、頭の中にいろいろな世界が広がってきます。

最近のテレビ番組は見るべきものが殆どなく、ニュースや社会的番組を見る程度ですが、テレビはあまり頭脳を使わなくても受身でも見られるだけに、頭脳を活性化させるにはむしろラジオに集中する方が効果的だと思うのですが、素人の考えでしょうか?

特に若者のラジオ離れが進んでいるようで、次代はラジオは消えてしまうのではないかとの危機感もあります。逆に若者を意識した番組も増えつつあるようですが・・・。

別の意味で今回の東日本大震災でも緊急時の携帯ラジオの価値が見直され、これからの暮らしにはラジオは必携との流れになっていますが、震災時だけではなく、日常の暮らしの中でもラジオの存在感を再確認したいものです。

シニア生活の夜の一時はラジオを推奨したいのですが、あなたはテレビ派ですか、それともラジオ派ですか?

仕事一筋の人生を終えて

(通信2012-3月号から)

60歳まで京都から長野、そして北海道と移動しながらサラリーマンになったり、自分で仕事を立ち上げたり8つの職場に勤務して、最後は札幌市社会福祉協議会で定年を迎えることになったのが2001年でした。その後も幾人かの仲間と一緒にNPO法人シーズネットを立ち上げて、現役時代と同じように日々事務所まで通勤して現役時代と同じような日々を送ってきました。

いや、講演など逆に現役時代より多忙になり、土日もゆっくりできないような状態が続きました。シーズネットを軌道に乗せて、何とか北の大地に根付かせたいと思い、さらに京都や三重でもシーズネットを創りたいとの話があり、東奔西走の充実した日々でした。

ところが2年前に胃と大腸にがん細胞が見つかって手術を受け、さらに肝臓などへも転移をしていたため昨年1月より抗がん剤の投与を開始し、仕事人生から一変してがんと闘う病人になってしまいました。

自分の希望で人生には定年はないため70歳を迎えた今日もシーズネットの活動に継続して参加していますが、当然業務内容は大幅に減少せざるを得なくなり、仕事と静養とのバランスを考えながらの日々になっています。

さまざまな抗がん剤の副作用もあり、気だるさや倦怠感、さらに精神的な落ち込みからうつ的な症状まで現れ、趣味もなく、家事もできない中で静養という名のもとでどのような日々を過ごせばよいのか、苦悩しながらの毎日です。

毎年3月はサラリーマンにとって定年も含めて人事異動の季節になります。多分仕事人生を終えて、これからのシニア生活をどう送るか、考えておられる方も随分多いと思います。

ぼくは病気がきっかけでしたが、何れにしても仕事をなくしたあとの人生は特に男性にとっては日々の暮らしが一変しますので、その現実を直視して新たな生き方を実行する必要があると自分自身の体験からも断言できます。

  • ヨコのつながりのある新たな人間関係をつくる。
  • 地域の関心にある団体やサークルに加入して自身の新たな居場所、存在感を創っていく。
  • 何らかの社会的な活動に参加する。

以上3点を掲げましたが、例えば私たちシーズネットもまさに定年後の人生を豊かにするためのNPO法人のひとつです。

定年後の生き方を考えておられる方々!是非私たちの仲間になって良い友だちをつくりながら仲間と共生し、新たな生き方を一緒に考え、自ら実行して創っていきませんか!

活動の拡大に参加を!

(通信2012-4月号から)

新しい年度のスタートです。シニア人生にとって定年を迎えたサラリーマンの方々にとっては、新たな暮らしをどう組み立てるか、問われる月でもあります。

さらに来年2013年にはいよいよ団塊の世代の初年度である昭和22年生まれの方が65歳になり、約700万人と言われる団塊の世代の方々が2015年までの3年間で65歳以上になられることになります。

もう一つシニア人生で考えなければならないことは、わが国の平均では2007年現在65歳で現役時代にピリオドを打ち、76歳が健康平均寿命、そして83歳が平均寿命になっています。換言すれば10年位が身体的には元気な高齢期ですが、7年程度は病弱、虚弱、要介護の人生が控えており、その双方を見据えた生き方こそ求められる時代になっています。ぼく自身は70歳と平均より早く病弱になってしまい、その生き方を現在模索していることは前号でも書かせて頂きました。

一言でシニア人生と言っても健康状態、家族環境、地域環境、過去の経歴など幅広い層に広がっているため、さまざまな活動も選択の幅を広げて、対応できる仕組みをつくりながら相互間のネットワークづくりが必要だと痛感しています。

その大前提として、孤立した生き方をしないために人と人とを結びつける素材をづくりをどうするか。趣味や勉強会など多様なサークルやグループづくりがその具体策として求められます。サークルやグループへの参加、もしくは無趣味の方も大勢おられますので、気軽に行ける居場所を地域の中でどう創っていくか、も欠かせません。私たちシーズネットがサロンや事務所をその場として活用して頂きたいと整備を進めています。

そして個人的に楽しむことも大切ですが、社会活動にも参加して自分自身の存在感を見つけることは極めて大切なことです。シーズネットでは孤立死や高齢期の住まいの問題でさまざまな提言をしていますが、町内会、民生委員、老人クラブ、ボランティア、NPOなどそれぞれの地域にある活動も考えて頂きたいと思います。

シーズネットは会員にとって安心安全なシニア人生の暮らしを創造するために、それらに対応できる仕組みづくりに力を入れるつもりですが、その主体は人材であることは間違いありません。

そのような活動を積極的にやっていこう!と思っておられる方の参加を待望しています。貴重な人生のシニア時代を有効に活動するためにも、積極的なご参加をお願いします。

人と人とのネットワーク

(通信2012-5月号から)

過日、公私ともにいろいろお世話になっているある編集者の友人から1通のメールを頂きました。「モノよりもカネよりもヒトの(つながり)財産が混迷の時代、混乱の時代には価値がある、とは同志社大学浜教授が、ビッグイシューで発言されていました。岩見さんはヒトとのネットワークでは超富豪かと思います。どうかその富を多くの方に分けられるように、病と上手にお付き合い下さるようお願い申し上げます」という内容でした。

ぼくが人と人とのネットワーク分野で富豪かどうかわかりませんが、シーズネットの活動の中で、そしてがんと言う病気を発症して困惑し、精神的に混乱した時に救いになったのは全て人的ネットワークであったことは事実です。

人間は誰でも人生に起伏があり、ぼくの場合は京都から長野、群馬、そして北海道と渡り歩き、その度に違った仕事に従事してきましたが、それも全て人間関係のネットワークの中で助けられたり、相談に乗って頂いたり、また紹介して頂いたりした結果であることは間違いありません。

特に今のような将来が見えない、孤立した時代背景のもとで積極的に何かを試み、仕事を成功させたい、豊かに生きたい場合はさまざまな分野での人間関係を構築し、保健医療福祉関係だけではなく、行政、企業、そして弁護士や医師などの専門職も含めて、自分に何かあった時に気軽にその分野の方に相談に乗ってもらえれば豊かな人生になると思います。

弱音を吐きたい時、悩みを抱えた時も同じような人的ネットワークで、ぼく自身随分救われています。私たちシーズネットにはさまざまな会員の方がおられます。きっとそれぞれ得意分野、専門分野を持った方も多いと思います。

暮らしの環境が大きく変容しつつあり、経済的にも厳しくなるこれからの日本の社会はまさに混迷の時代に突入し、長期展望も見えてきません。政治の世界も課題を先送りばかりして、解決の道筋が見えない不安を感じます。

個人的にも、社会的にも、そのような時代こそ、それぞれが人間関係を構築し、その人間関係をネットワークして行くことが豊かに生きる秘訣のように思います。

ぼく自身何かあれば積極的にその分野の方を紹介したり、また紹介して頂いたりして、ネットワークの輪を広げたいと念じており、その拠点としてシーズネットという組織を上手に活用して頂ければ豊かなシニア人生が実現すると信じています。

地域家族を高める2つの福祉力

(通信2012-6月号から)

今年の新年号で地域家族の提案をしましたが、地域の位置づけを人と人との関わり合いによる暮らしの場として考えた場合、先述したように人間関係づくり、居場所づくり、存在感づくりの3つが個人の豊かな暮らしの場として不可欠な要素であると思います。ただ、そのような地域社会を実現するための前提として、下記の2つの福祉力の存在が必要になります。

  • 個人の福祉力

    地域に住んでいる自立した個人として既に良き友人を持ち、社会的な活動も行いながら自己の存在感をち日々充実した暮らしを送っている方は、既に個人の福祉力で地域家族の一員としての力を持っておられます。
    そのような方がある意味で地域家族のリーダーとして、一般住民を巻き込んで行く力になると思います。これから必要な地域社会におけるヨコ型リーダーの出現です。

  • 地域の福祉力

    現実のわが国の地域社会は村落共同体の家族主体に形成された歴史があり、また都市部では経済発展主体で人口移動が激しく、地域住民同士の結びつきが希薄になりつつあります。鎮守の森など精神的な地域基盤もなくなりつつあります。
    そのような傾向が核家族化の形態と共に孤立社会を生んでいるため、それを打破するための3づくりの場を意識的、意図的に創造し、地域住民がそれぞれに参加できるようにしなければなりません。地域住民同士を結び付け、暇な時に気軽に行ける場所をつくり、そして地域に役立つサービスづくりです。そのような機関やサービスがないと地域家族が機能がせず、そのような場が点在することにより、地域住民同士の助け合い、支え合いが生まれてきます。具体的なサービスや社会資源は平成24年1月号の語録「地域家族の提案」事例を参照して下さい。

  • コーディネート機関

    そしてそのようなサービスや社会資源を結びつけたり、地域住民に紹介していく機関の存在です。そのような人材の育成も重要課題になると思います。

以上のような新たな地域社会づくりのために私たちシーズネットは多くの仲間たちと共に微力を尽くしたいものです。

デパートと商店、そしてコンビニ

(通信2012-7月号から)

介護保険も医療保険もその制度が施設入居や病院入院主体から、在宅での暮らしに重点が移行しつつあることは周知の事実だと思います。もともとわが国では福祉や介護は施設整備からはじまりましたが、家族関係が維持されていた頃はその担い手はまず家族であり、家族関係がなかったり、家族間の人間関係が希薄な場合は施設がその受け皿になっていました。

ところが最近の動きは家族関係が核家族化して、老後の暮らしの中で同居家族が減少しているのに、財政抑制の背景もあって介護や医療が在宅化になっており、そのような環境や流れの中で虚弱、要介護、慢性疾患などを抱えた場合に、どこでどう暮らすかが大きなテーマになっていると思います。

そんなことを考えていてフッと、施設や在宅を考える場合のヒントとして、デパートや商店、コンビニのことが浮かんできました。

要介護になった場合に施設入居の希望は相変わらず多いようですが、言わばデパートが施設に該当するからだと感じました。デパートに行けば基本的な暮らしに必要な商品は全て揃っており、店内で賄うことができます。

他方商店は野菜や肉、魚など個々の商品毎に独立した店舗を持っており、その集合体が商店街と呼ばれるものでしょう。私たちは必要な商店に行って必要な商品を買う必要があるわけです。

それを介護に例えると、施設内での暮らしでは食事、風呂、排泄そして治療など個別の暮らしの中で支援が必要なサービスが発生すると、全て施設内の組織や体制で解決してくれますし、治療行為など施設内でカバーできない場合は必要な機関に連れて行ってくれます。

言ってみれば施設内の暮らしは、そこに入れば基本的に全てを賄うことができます。他方在宅の場合は訪問介護、通所介護、訪問看護、訪問リハビリなど必要なサービスが発生するとそのサービスがある個々の商店に行って手配しなければなりません。大変手間隙がかかり、更にサービスを提供する商店がない場合は地域住民に頼まなければならないことも起こります。その論理で言うとコンビニは小規模多機能に該当するかも知れません。

以上申し上げたことは解決する仕組みとして登場したのが、2012年の介護保険制度改定での「地域包括ケアシステム」という地域で総合的に在宅支援を行う仕組みづくりのことだと思います。保健・医療・看護や介護・福祉などの関係機関のネットワークづくりのことですが、そこにキチッとしたコーディネート機関と一般市民も巻き込んだ仕組みを作らないと言葉ばかりが先行して絵に描いた餅になってしまうような気がします。

「かりがね」と「シーズネット」

(通信2012-8月号から)

人生70歳を過ぎて高齢期に入り、そこにがん細胞の転移と言う一生治らない病気を抱えると、つい自分の人生を振り返り、今まで歩んできた人間としての基本は何だったのだろうかと考えてしまいます。そして今、確信をもって言える人間としての基本は①ひとはひとりでは生きられない②ひとはひととの関わり合いの中で生きていると言う2つです。

その2つの考えは今までも頭の中にはありましたが、実感は伴わず安易に考えていました。例えばもしぼくが将来ひとりぼっちになれば施設か高齢者住宅に入れば解決できるといった程度の考えでした。

「かりがね」は過去何回か紹介していますが、ぼくが30代の時信州真田町に40名の小さな知的障害者の福祉施設を建設した名前です。今は「ライフステージかりがね」という洒落た名前に変わりましたが、当初はかりがね学園と呼称していました。昭和50年代当初はまだ社会福祉施設は要介護の高齢者も障害者も家族や地域から隔離するために保護収容することを目的につくられ、人里離れた遠隔地で閉鎖的な運営をするのが当たり前でした。

ぼくはその現実を知り素人ながら障害ある方々も私たちと同じ当たり前の人間としての暮らしの場を作るべきだと思い、資金集めから運営のあり方、そして地域との関係を明確にするために全て一般市民とのひととの結びつきを中心に進めてきました。運営の社会化、家庭化、近代化を徹底的に追及しましたが、その基本になったのは入居者の暮らしを中心に地域の方々、職員、ボランティアの結びつき、そして互いの存在感を示す役割分担、そして施設以外に気軽に行って交流できる居場所づくりでした。

シニア層の新たな生き方を当事者の英知と創造力で創っていこうという目的でシーズネットを立ち上げ10年を経過しましたが、老いの道は決して楽しいことばかりではありません。加齢、病気などによって障害を持ちながら生きる道も考えなくてはなりません。

高度経済成長期までは我が国は大家族、共同社会によって支えられていましたが、今のつながりは共同より個、そして家族も孤立化の流れが加速し、そんな中で本格的な少子高齢人口減時代を迎えています。

そんな時代の生き方を考え、実践していると、「かりがね」での実践と重なり、元気な時は楽しく、そして障害を持っても支えられ、助けられながら豊かに生きる地域づくりのため、ひととのつながり、居場所、そして個々人の存在感=役割の必要性を痛感し、それらの活動を総称して「地域家族」としました。

9月に出版する単行本はそんなシニア人生の生き方の体験談です。是非ご一読下さい!

家族、2つの考え方

(通信2012-9月号から)

私たちシーズネットが札幌市の委託事業で「孤立死ゼロ推進センター」を立ち上げてもう5年位になるでしょうか。最初は孤独死という言葉が主流でしたが、最近は孤立死という言葉に統一されており、孤立死の背景には孤立した暮らしがあることがはっきりしてきました。

ただ未だに孤立死の概念は不明確で厚生労働省も定義付けはしていませんが、一般的には「ひとり暮らしの高齢者が在宅で誰にも看取られずに亡くなっている」状況を孤立死と呼んでいました。その背景にはひとり暮らしの高齢者世帯が急増しており、例えば札幌市内では平成22年の国勢調査の結果では65歳以上の単身世帯が82千世帯と、10年前の国勢調査の46千世帯の丁度倍になっています。

ある意味ではひとり暮らしが増えれば必然的に孤立死も増えると思いますが、気になるのは最近の新聞報道などで孤立死の傾向に変化が起こっていることです。ひとり暮らしの高齢者ではなく、老夫婦、親子、兄弟姉妹などの家族が一緒に亡くなっている孤立死です。厳密にそのような場合を孤立死と言うのかどうか分かりませんが、マスコミはそのような表現を使っています。

家族の孤立化のことは以前から気になっていましたが、今回のような家族で孤立死が発生する原因は何なのか、とても気になっていました。ところが札幌市が平成24年から5年間の地域福祉社会計画が最近出来上がり、ぼくも委員の一人でしたので地域福祉に関する市民アンケートを見ていてハッとしたことがあります。

市民アンケートの中の質問に「地域での助け合いや支え合いの中心について」誰が、もしくはどこが担うべきかとの質問の回答でした。市民の意識の中心は一番目に手助けが必要なのは家族との回答が41.4%、次いで地域、行政機関の順番になっているのです。

即ち今の高齢者は子供の世話にならない、子供に迷惑をかけたくない、と子供に助けてもらったり、支えられたりすることを望んでいませんが、地域住民は別居していてもやはり家族が担うべきだとの回答が圧倒的に多いのです。

要はひとり暮らしや家族が地域に救いを求めても、やはり家族に求めるべきだ、家族関係には地域は介入できない、との意識が強いことがわかりました。

高齢者の家族意識と、地域住民の家族意識にそのような大きな差があり、その意識が家族の孤立化の原因になっているのではないかと思いました。

孤立死防止の見守り活動も大事ですが、家族に対する価値観の変化による市民意識の改革も考えないと、根本的な解決にならないと感ずるようになってきました。

老いへの道

(通信2012-10月号から)

シニア人生とはその本質は生ある者には必ず訪れる老いへの過程であり、それは死によって終結することは誰もがわかっていることです。

でも、多くのシニアの方々はそのことを直視しないで、老いを考えることから逃避してPPK(ピンピンコロリン)という言葉を表面に出す方が圧倒的に多いのが事実です。

ぼく自身もシニア人生という言葉をいつも使いながら、老いへの道のりを考えることを避け、ひたすら健康の維持・増進による社会貢献を意識を向けていました。

ところが、ご存知のように70歳を目前にがんの発症と転移、そして70歳代への突入による加齢現象で、今まで考えていた抽象的なシニア人生のグランドデザインが如何に甘く、抽象的、概念的なものであるかを思い知らされました。老いへの道は死への過程であり、その現実の中でどう生を有意義に全うするかが問われていることに気づきました。そして今まで考えていなかった死への恐怖は日本人は教育を受けていないため、容易に受容できません。

最近街中を歩いていると体に障害を負った方、内臓疾患を抱えておられる方、要介護や虚弱で車いすや杖歩行で頑張っておられる高齢者の方々によく出会います。

まさに老いへの道は心身機能が低下して、個人差はあるものの何れはひとりで暮らすことが出来なくなり、要介護状態や認知症などによる意識障害が出てきます。ある意味では生ある動物として当たり前のことです。

シニア人生とは健康な時は楽しく、豊かに活きながら、どこかで老いへのプロセスを容認しながら豊かに、そして積極的に生きていく思考、心構え、身体能力、精神力などの準備を整えながら人生を全うする生き方をデザインすることだと感ずるようになってきました。

少子高齢人口減社会では家族の力だけではそれは不可能です。今後急増するそのような方々のために、多様なシニア人生を送っておられるさまざまな方々がコミュニケーションを取ったり、情報交換をしたり、そして支え合ったりしながら孤立しないで互いの機能の低下をカバーし合いながら老いへの道のりを歩むことではないでしょうか!

ぼく自身も含めて加齢により心身機能が低下して苦しんだり、悩んだりしながら人生を全うしたいと努力されておられる方々は大勢おられます。そのような場合でも自分の気持ちの中に閉じこもらないで、互いに励まし合い、支え合う・・・そんな人間関係・仕組みづくりがシーズネットにできて、老いへの道を堂々と歩けるような社会づくりに力を注ぎたいものです。

ダブル老化の中で

(通信2012-11月号から)

北の大都会さっぽろの住宅事情は、高齢社会の到来の過程で

  • 戸建中心から集合住宅(マンション)中心へ
  • 郊外型から街中型へ
  • そして、集合住宅も分譲主体から賃貸主体へと大きく変わろうとしています。

    そのような動きの中で、札幌市内のマンションも都心部を中心に築30年を超える建物がこれから急増することになり、そのことは必然的にマンション入居者の高齢化も進んでいくことを示しています。即ち札幌のような都市社会のマンションは、建物と入居者の双方の老化現象への対応が必要になってくる時代を迎えます。

    札幌市が今のような都市化の波をかぶるようになったのは1972年の冬季オリンピックがキッカケになったことは明らかなことです。その前年の1971年に地下鉄や地下街がオープンしています。

    その頃から真駒内の団地を手始めにマンションブームが到来して、人口も急増していきます。また郊外では庭付き戸建住宅団地の造成が始まり、サラリーマンの夢であるマイホームブームが到来することになります。

    時あたかも、産炭地を中心とした地方都市は炭鉱が閉山に追い込まれて、産炭地で仕事を失くした人々が札幌に集中し始める時期とも一致します。

    三菱大夕張炭鉱、美唄鉱の閉山などがその象徴と言えるかも知れません。そのような大きな時代のうねりが北海道内の住み替えを促進し、札幌一極集中を招く第一歩になったと言えるかも知れません。

    そして・・・40年近い歳月が流れ、その大きなうねりが高齢社会の到来によって孤立化したコミュニティになってしまい、今後の見通しも立たないまま、高齢社会に向かって突っ走っているように感じます。

    高度経済成長は経済力だけではなく、人間の心まで変えてしまい、もう一つの流れとして核家族化社会を招き、新たな時代の新たな価値観や生きる道も確立されないまま、環境の制度の変化だけは待ったなしで私たちの身の回りに襲ってきました。

    核家族化の中での、孤立したコミュニティ、孤立した住まい環境の中で私たちは今老いの暮らしに向かって、その準備を進めなければなりません。

    物質的に恵まれた高度経済成長期の残照を抱えながら、私たちは新しい生き方のデザインを描かないと、悲惨な老後が待っているようにも感じています。

    この問題は札幌だけではなく、日本全体の課題としてこれから表面化してくると思います。特に都市部で顕著な傾向として現れてくることはは間違いありません。

    さて、あなたの都市、地域は如何ですか・・・?

    豊さは物より心?

    (通信2012-12月号から)

    今年2012年の内閣府の「国民生活に関する世論調査」によると我が日本人の実に65%が物の豊かさより心の豊かさを求めているとの結果が発表されていました。因みに物の豊かさを求めている国民は30.1%です。

    しかも1977年以降心の豊かさを求める国民は40%から、今年は65%まで毎年上がり続けているのです。それなのに何故無縁社会、孤立社会になっているのでしょうか?

    心の豊かさとは具体的に何を意味しているのでしょうか?

    ぼくは大きな疑問を感じながらその新聞報道を見ました。(2012/8/26北海道新聞朝刊)しかもこころの豊かさを求めているのに、政府への要望のトップは景気対策の66.1%がトップで医療や年金などの社会保障対策、高齢者対策と続いています。

    しかも内閣府担当者のコメントとして、そのアンケート結果を見て「人とのつながりを大切にするようになっているのではないか」と述べています。何を根拠にそんなコメントが出てくるのか・・・景気対策を求める背景には物質的な豊かさを求めているのに本音があるのではないかと思ったのがぼくの実感です。

    要するに物の豊かさがあって、はじめて心も豊かになるという考え方です。この世論調査の項目に「家族や人とのつながりを大切にする」という項目があれば、国民の本音が出てくるのではないでしょうか?

    「経済的には今より厳しくなるかも知れないが、人とのつながりが豊かな生活につながる」と言うのが、ここでの質問で求めている心の豊かさの概念だと思うのですが、皆さんは如何お考えですか?

    政治家や官僚の言葉を聞いていると、我が国は未だに高度経済成長の夢を追いかけているように感じます。価値観の転換、我が国の未来像が少しも描けていないのです。少子高齢人口減社会で膨大な社会保障が求められる時代に多子若年人口増時代の価値観を追っかけるような政治に期待できないことを国民は敏感に感じ取り、将来の日本の方向が見えない不安感を感じ取り、経済力の低下ばかりが表に出ているような気がします。

    節約、もったいない・・・と言う言葉が出始めていますが、その言葉をヒントにして我が国の豊かな未来像を描くことはできないのでしょうか?

    少子高齢社会に合致した地域の再生と人とのつながりをそれに付け加える新たな価値感の日本の社会です。

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