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8月 01

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シーズネット京都便り

再び「私」について

~文字の形が教えること~

「私」という文字 を心して見れば見る程、なるほどと思うことがあります。それは高僧がよく言われるように、「仏様は自分(私)の中にあるんだよ、修行すると自然に人は仏になるんです」。数回前の巻頭言で述べたこともありますが、文字遊びで「私」という文字から「一」と「八」を取り去ると、なるほど「私」が「仏」という文字になります。そして更に「一」と「八」を加えて「九」、すなわち「苦しみ」を取り去ると「仏」になります。

では「苦しみ」とはどういうことでしょうか、少し話は飛びますが、かって、インドの北方の小国ブータンでは、国民の80%以上が生活に満足していると報じられたことがありました。そこである日本人が実状を調査に行ったそうです。彼が現地で見たのは若い母親が小さな子供をおんぶして、両手に洗濯物と桶をもって山道を谷川まで歩いていたのに出会いました。そこで彼女に次のように尋ねたそうです。「そんなことして苦しくないですか」。すると彼女は怪訝な顔をして言ったそうです。「こんなことは、お婆ちゃんもお母さんんもやっていたことです。私もするのが当然です」

本人が苦しみと感じるには、本人が作った基準があって、現在の行為がその基準として比較して判断するようです。しかもその基準は本人の考え方で自由に決めることができます。私も企業時代の若い頃、学位が欲しいと明確な目標を持って、職場から帰って夜遅くまで10年間(1万時間)勉強していたころ、少しも苦痛とは感じないことを思いだしました。努力して一流にとなった人の伝記を読むと、このようなことを強く思います。 (理事長 村田 忠)

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