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5月 01

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会員の広場(2020.5)


俳句

湿原の眠りは深き春の雪
  木道の果は大川水芭蕉 (川口 昭治)

川柳

強さより柔らか求め散る桜
花香り歌をうたって声自慢
継ぎはぎの未来を探すぬるい風 (浜 正吉)

五行歌(投稿)

マスク顔
目で問い
目で応える
目は
口ほどに物を言う (爽 子)

新コロナが
自然破壊や地域紛争
自国ファーストの
人間界に
天罰を与えていく (ひ ろ)


五行歌の会

一期一会は嫌いだ
 その場その時でなく
 今度またねと
 言って会いたい
 気心優しく (塚下 健太郎)

少しおどけて
 踊ってみる
 鏡に写して
 笑ってみる
 私の老いよ (寺島 しのぶ)


短歌

何時からか駐車場と化しし畑
  隅にひっそりつゆ草揺れて (本田 征子)

エッセイ

シーズネットは

新型コロナウイルスの突然の襲来により世界中が日常生活の制約や自粛を余儀なくされている。

そのお蔭でもないが出来た時間で改めて自分の所属するNPO組織シーズネットについていろいろ考えることが出来た。

今回このウイルス回避のための外出自粛要請でサークル活動に出かけられなくなった多くの仲間たちから既に悲鳴に近い声が聞こえてくる。「ただ楽しんでいただけではなかった」「出かけて行くところがあった幸せに今更ながら気づいた」「交流の喜びを感じたりそれによって気概が生まれる確かな力があった」「活動できないので気持ちもからだの調子も変調をきたしそうだ」「一人になってしまい、やる気が出ない」「自分はもう高齢、早く再開してもらわないと逝ってしまいそう」「もう爆発しそう」・・・など。

シーズネットのサークルは単なるお遊びや時間つぶしの集りなのではない。払った料金で何かして貰え
るなどというものでは勿論ない。自分達高齢者が自らの力でシニアの生きがい創りに挑み、高齢者同士が孤立することなく交流することにより健康を維持したり活力と気力を持って生きることを目指すという他に類を見ない壮大で建設的な組織だと思う。存在そのものが既に大きな社会貢献である。

シーズネットは私たち高齢者にとっての大切な存在。長年居てそう感じる。シーズネットを誇りに思う。

これからもシーズネットを大切にしていきたい。 (シーズネット 一古参会員より)

新型コロナウイルス考 ―国内自給率を高めよう―

今回の新型コロナウイルスではいろいろなことを考えさせてくれました。マスク不足が社会現象になりました。政府は、すぐに増産するといいましたが、なかなか国民の末端までには行きわたりません。マスクの4分の3は中国から輸入していたとのことが原因の1つのようです。

日本の国内自給率は40%を切っています。先進諸国の中では最下位です。資源が少ない日本は、外国から原材料を輸入して、製品化し輸出して外貨を稼いでいる、ということは小学校時代から学んで育ちました。その後、世の中はグローバル化時代を迎え、その仕組みが順調にすすんできましたが、私は非常時、緊急時にはどうするのかと、ずっと危惧していました。それが現実化してきたということです。

私も万が一、戦争が起きた時のことばかりを想定していましたが、最近は、地震災害、温暖化による不作、そして今回のようなウイルスによるパンデミックもありだと認識を新たにした次第です。

日本というのは、なんと能天気なのでしょう。危機管理が疎すぎます。国会では、今回を教訓に、日本の将来について真剣に話し合ってほしいと思います。 (桜井 幸司)

「フィリピンでの体験記」 (前月号からの続き)

ホテルの外では内戦が続いて、いつ弾丸が飛んで来るのか判らないのでベランダや窓の側には立たないように言われカーテンを下ろし、幸いTVがあり市内の様子を映し出していたので、丁度マルコス大統領がヘリコプターで逃亡する姿やアキノさん側の勝利を沢山の人が街に出てマブハイ(万歳)と叫びながら旗を振っている群衆の姿があちこちで見られた。マルコス大統領夫人のイメルダさんの200足からの靴や履物を映した映像がTVに流れていた。

この頃私達のツアーの代表者や一緒に行った仲間で親戚に外務省勤務のいる方が帰国の連絡を取り合っていたのである。時刻にして4時頃であった、突然日本からの救援機がくるので帰国出来ると言う一報に、用意は出来ていたのですぐバスに乗りパトカーの先導で空港へ急ぐ。空港では日本からのTV局が来ていた。空港職員の案内で機上に移り座席に着くとすぐ日本の新聞が配られた。10分程で離陸、驚いたことに女性のスチュワーデスの姿はなく、全員が男性のパーサー級の乗務員であった。まもなくお夕飯が配られ暖かい日本茶と薄いピンクのそぼろが散りばめられたちらし鮨であった。久しぶりの日本食と帰国出来るという安堵感に一同ホッとした一時であった。残念ながら飛行機の遅れもあり成田に着いた時は千歳行の便は飛び去った後、結局翌日の便で一日遅れの帰国であった。

顧みれば朝7時頃から夜9時頃迄の何時間かの出来事であったが、緊張と緊迫の時間は、そんなに体験出来るものではなかった。フィリピンはマルコス政権破壊、アキノ政権樹立は2月25日無血のクーデターであった。 (福栄 眞理子)


絵手紙

(澤田 信子)

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