NPO法人シーズネット理事長 奥田 龍人
3月1日、認知症の男性が鉄道事故を起こしJR東海が損害賠償を請求したJR列車事故訴訟で、最高裁は1日、JR東海が求めた妻と長男の監督責任を認めず、 家族側には賠償の責任がないとする判決を言い渡しました。
この事故は、介護に当っていた妻がほんの数分まどろみ目を離した間に、認知症の夫が1人で外出してJR駅構内の線路に入り、列車にはねられ死亡したものです。1審の名古屋地裁では同居していた妻と別居の長男に監督責任を認め、2審の名古屋高裁では妻のみの監督責任を認めて損害賠償を認定しましたが、認知症の方を在宅で見ている家族や介護関係者などから「四六時中監視はできない。縛りつけておけとでもいうのか」などの反発もありました。
ケアマネジャーでもある私としては、今回の判決が家族への賠償責任を認定しなかったという面では、「よかったなあ」と素直に思うのですが、それでも様々な課題を残しています。家族の責任が全く免責されたわけでもないですし、また逆に損害を被った方の救済にも触れていません。「認知症の人と家族の会」が主張するように何らかの社会的救済の仕組みが必要なのでしょう。
また、同時に、認知症の方への理解を広めることと、認知症の方を優しく受け入れ暖かく支える地域社会づくりを目指すことも大切です。認知症の方を介護している家族の方は、心休まることがありません。いつのまにかいなくなってしまった時も、町内の方に協力を仰いだり警察などに届けるのは迷惑がかかるからなどと、つい遠慮したりしてしまうのです。その結果、大事に至ることも少なくありません。でも、地域社会の理解があれば気兼ねなく相談できるし、SOSネットワークなどの見守りシステムの活用も図れます。「徘徊は恥ずかしくないこと」と実感できる地域であってほしいですね。
そもそも「徘徊」という言葉は、目的もなくうろうろするというニュアンスで、あまりよろしいイメージがありませんが、認知症の方の外出は皆、なんらかの動機を持っているのです。徘徊ではなく「ひとり散歩」ととらえた方がよろしいかと思います。そして、ひとり散歩している町内の認知症の方を見かけたら「あら、おでかけですか」とか「いつもお元気ですね」とかお声掛けするとよろしいでしょう。ご本人も今、自分の町内にいるんだなあ、と心のどこかで認識して安心するでしょう。「家に帰りたい」というかもしれません。その時は、そっと寄り添って導いてやりたいものです。