子の心感じて親は歓喜涙
店の中ゆっくり通る老夫婦 (ホヤ レイ)
暖ったかな対話待ってる冷えた胸
身の丈けの歩幅で生きて今日を編む (浜 正吉)
水の都ベネチア
行きかうゴンドラ
高らかな歌声が流れる
いつの日か
青く深く海底に眠る運命
目もくらむ深い峡谷に
一本のつり橋
かつて異教徒が命がけで渡った
天空の古城
苔生してそびえ立つ (浮草)
冴え返る重き瞼の道祖神
伏流のせはしきひびき雪間草 (川口 昭治)
忖度悲し
ゆがむ国政はびこる狂言
「正義」の言葉も死語になり
桜疑惑も矮小化
一強選んだ私が三流 (西村芳光)
過ぎた日戻らない
先のことは分からない
胸の痛みも悲しみも
心の引き出しにそっとしまい
笑って生きよう熟年期 (友田冨美子)
「思い出の村」
♪別れることはつらいけど 仕方がないんだ君のため 別れに星影のワルツを歌おう♪
テレビからこの曲が流れてくると、自然に胸の奥が暖かくなってくる。
もう40年も前のこと。当時私は夫の転勤先の羅臼に住んでいた。郊外の小さな漁村なので、雑貨店が一軒、米屋が一軒、旅館が一軒あるきりだった。そして小中の併置校なのでいつもグランドと体育館は共有だった。毎年、運動会は村中の人が集まって来て大賑わい。大人も綱引き、マラソン、借物競争と張り切って参加した。たしか景品は軍手、石けんなどの日用品で生徒はノートや鉛筆だったと思う。その日は応援の声、拍手と笑い声があふれる楽しい一日だった。この地で私は石炭ストーブの焚き方を覚え、なんとか鮭、鱈のさばき方も身につけた。毎日幼児2人の子育てに忙しく、5年の月日はあっという間に過ぎた。
雪どけとともに毎年くり返される送別会と歓迎会の出会いと別れ。いよいよ別れの日がきた。旅館での送別会には、小中の教員の奥さんが10数名集まった。転勤が宿命とはいえ親切な奥さん方と別れるのはとても辛い。みんな楽しかった思い出を語り合い、笑顔で送り出そうという気持ちがあふれている会だった。最後に全員でこの「星影のワルツ」を歌って締めくくった。
別れることはつらいけど仕方がないんだ君のため・・・。
この後片手以上にあちこち異動をしたが、このように歌った所はここだけだった。あの村で5年間共に過ごした優しい人達は、遠い空の星になっただろうか。今も忘れられない格別な歌と村である。 (小野 弘子)
白石再訪
昭和41年3月私は、白石へ向かうために札幌駅頭に立った
駅前通りは、4~5年前からの、道路の拡幅がほぼ完了していたが、一部はまだ途中だった。アカシアの並木が続き、北国の地方都市そのものだった。私は、札幌は都会だなと思う反面、大きなビルは、駅周辺がほとんどで、碁盤の目の平野に木造住宅が散在している、煤煙で煤けた町にみえた。駅前通りを進み北1条通りを左折して東に進み暫く行くと右側の東橋を渡る。今では考えられないが東橋の下にバラックがあり人が暮らしている様子だった。まだまだ住宅難の時代だったのだ。東橋を渡って行くと千歳線と交差する陸橋が見えてくる。 この一帯は東札幌工業団地。ここには、国鉄東札幌駅があり、コンテナ、貨車、馬車の貨物積み出し、荷受けの基地だった。
当時、高度成長がスタートし、札幌市の人口も50万を超え100万はもうすぐそこだった。その頃から徐々に白石は変わっていった。札幌冬季五輪が決まり、それに向けての大変貌が始まった.畑をつぶし墓地を移転し環状線を作り、南郷通を作り、貨物基地を大谷地に移転し、厚別には、大規模住宅団地が開発されJRの新駅もできた。札幌市の変貌は、冬季五輪から始まった。次の冬季五輪には札幌はどう変わるのだろうか
時は移り白石は、今工業地帯と商業地域に変わり、厚別地区は、分区され白石区から切り離された。独身時代よく飲みに出かけた飲食街は消え、ビル街となった。地下鉄が通り、JRの高架が出来、札幌市の施設も充実している。今の白石の街に、昔の面影は、ほんの僅かである。当時が懐かしいとしみじみ思う。私が白石区を離れたのは、冬季五輪のすぐ後のことであった。その後間もなくオイルショックが始まり混迷と混乱の時代に突入する。白石という街に住んだのは7年だが、今でも当時を時々思い出すことがある。 (小林 貴光)
「歯の移植」
昨今、生活の質を良好に保つ為には、口腔内の健康・歯の大切さが言われており、日本歯科医師会等がいわゆる「8020運動」を推進しています。厚生労働省が5年ごとに発表している「歯科疾患実態調査」の2018年版によれば、75~84歳の達成者は5年前より11ポイント増の51.2%とのことです。
歯を失う原因で最も多いのが生活習慣病と言われる歯周病で、初期を含めると成人の8割以上の人が罹っているとのこと(同調査)で、その予防が大切になっています。
私も歯周病で奥歯1本失っていましたが、数年前に歯の移植を受け、元通りになりました。施術方法は、自分の丈夫な奥歯の1本を、時間をかけて徐々に歯根まで分割してゆき、片方はそのまま残し、もう片方を歯根膜ごと取り出し、抜けたところに移植・固定するというもので、数週間で完全に定着、かぶせものをして完成となりました。以来自分勝手に「8028運動」と名付けて、大切な歯を守るために毎日の丁寧な歯磨きを心掛けています。 (鈴木 誠治)

(江崎 弘子)