«

»

9月 01

Print this 投稿

函館支部便り

一人暮らしの老人へ訪問して

新型コロナウィルスにて、第3回目のワクチン接種を終えて一安心していますが高止まりしている現状で十分気を付けていかなければと思ってあります。

私事ではございますが、今町会で取り組んでいることを紹介したいと思います。

人は、重ねていくと自分ではどうにもならなく自由が効かなくなって行きます。我々も同じようになるのでしょうね!老人一人暮らしの見守るために、担当する委員が23人対象者が50~55人対応しております。一週間に1~2度老人宅へ電話で連絡取れる方に電話で、連絡取れない方へは、訪問し安 否確認サービスを実施しております。その中で私達の体験したことを話してみましょう。

見守りしている中で、電話連絡取れない方に訪問して玄関の新聞受け口に4~5日分の新聞紙がたまっており何か不思議に思って、地域担当包括センターへ連絡すると共に警察・消防にも連絡対応お願いした。この方は、血圧が高めな方で4日位床に倒れて動けない状態でして、連絡するにも連絡できない状態で孤独を感じていたようです。本人は一命を取り留めてすぐ病院に搬送しました。

本人は、現在リハビリを通して頑張っております。万が一「一分一秒」遅れていたら、救える命をな くしてしまう事にぞ一っとしました。このように、現状、隣近所の方との付き合いが無くなっており、 一人暮らしの老人への見守りが必要だと感じております。一人暮らしの老人を大切にしたいと思っております。 (木村 豊)

わたしが一番きれいだったとき

五稜郭の桜の開花宣言の翌日、友人と今年も桜を観る事が出来たネ~と肩をタタキ合いながら、もう満開の桜を観光客や修学旅行の生徒達の中を、天気にも恵まれ土手を上ったり下りたりヨレヨレになり, 店でコーヒーを飲み、やっと落ち着き満開の桜を浴びた後に出てきた話は前々日に起きた知床の遊覧船 事故の話、テしビで見るウクライナの破壊された建物、人々の悲しい顔友人はカラフトからの引揚者、 私は終戦時国民学校の2年生、戦争のひもじさを体験しているだけにどうして~何で~と虚しさだけが 残りました。

何冊か整理しないで残しておいた本の中で、茨木のり子の私が胸を熱くした詩です。 (駒林 美代子)

  わたしが一番きれいだったとき  街々はがらがら崩れていって  とんでもないところから
  青空なんかが見えたりした
  わたしが’一番きれいだったとき  まわりの人達が沢山死んだ  工場で海で名もない島で
  わたしはおしやれのきっかけを落としてしまった
  わたしが一番きれいだったとき  だれもやさしい贈り物を捧げてくれなかった
  男たちは挙手の礼しか知らなくて  きれいな眼差だけを残し皆発っていった
  わたしが一番きれいだったとき  私の頭はからっぽで  わたしのこころはかたくなで
  手足ばかりが栗色に光った
  わたしが一番きれいだったとき  わたしの国は戦争で負けた  そんな馬鹿なことってあるものか
  ブラウスの腕をまくり 卑屈な町をのし歩いた

Permanent link to this article: http://www.seedsnet.gr.jp/2022/09/%e5%87%bd%e9%a4%a8%e6%94%af%e9%83%a8%e4%be%bf%e3%82%8a-51/