京都の耳塚~一度はお参りしましょう~
最近、私はプーチンと豊臣秀吉の行動を比較してみました。そこで長年ワンマンとなった者のわがままな行動を知って?然としました。
秀吉の行為をみてみると、晩年の秀吉は自分達の利益のみを考え、こともあろうに2度も隣国朝鮮に侵略戦争をしかけ、それは文禄・慶長の役(1592・1597)として歴史に残っています。秀吉軍は突然、朝鮮に攻め入り、当初は優勢に攻め進んだが、後の戦いでは、朝鮮が中国の支援を受けて優勢になり、秀吉軍は苦戦したそうです。その頃、秀吉の命令で敵軍の首でなく、日本に運ぶのが大変だということで、首の代わりに切り取った耳や鼻を塩漬けにして送るよう命じたそうです。そしてそれらを埋めた所が京都や岡山などにあるそうです。
京都では、博物館の北にある豊国神社の西方約100mのところにあります。文献によると相手軍の兵士のみでなく生きている一般庶民の耳や鼻にも及んだといわれています。そのころ秀吉は醍醐寺の桜見物などを楽しんでいたとか…。結局、この侵略戦争が終わったのは秀吉が病死した時だそうです。これらのことを知った私は、早速その耳塚を尋ねてお参りし、秀吉の蛮行をお詫びしました。罪を犯した者の子孫は、それらのことを忘れても、被害を受けた者の子孫は容易には忘れないでしょう。
日本人と韓国人の間が長年なんとなく、ぎくしゃくしているのも上記のことが少しは関係しているのかもしれませんね。
私たち日本人は昔こんなことがあったことも知ったうえで、未来志向で臨港の韓国と仲良く付き合いたいものですね。 (理事長 村田 忠)