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4月 01

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会員の広場(2020.4)


俳句

蕗のとう北の大地の息吹かな
下校の子かけ行く小径春しぐれ (川口 昭治)

川柳

生き残る心の引き潮自負残す
生を生む生々しさの充電器
目が覚めて思い出フッと封を切る (柳 生)

五行歌(投稿)

コロナの春
別れも
出会いも
一メートルの
距離置いて (爽 子)

夕陽をのせて
光り輝くアルノ川
遠くから教会の鈴の音
フイレンツエの街々は
美しく暮れてゆく (浮 草)


五行歌の会

目覚めてください
木々たちよ
あなたの力を期待して
耳をすまして
鳥のさえずり探す (西原 桂子)

怒り静める
頬っぺは出せないけど
黙して咲いた
この一輪
君にあげましょう (澤田 節子)


短歌

鳴く鳥のやさしき声に目ざゐて
消えゆきそうな月の趣き (本田 征子)

エッセイ

金婚カ~ン!

五十年/まあ こんなもんか/そう こんなもんよ/よかったんじゃない/うん!

結婚してすぐ判ったこと。それは、ものの見方、考え方の違いでしょうか。お互いに疲れてくると、相手のすることにイライラ、じっくり向き合い解決することもなく、スッキリ排泄もせず、うやむやだんまりの喧嘩風?が数日続き、そしていつのまにか消滅の繰り返しでした。血液型はAとB、お互いに大きくうなずき合い納得したも のです。夫は変化を好まず○△□にきちんと収めることを良しとした「こだわり型」、私はその反対の周囲も認める「大雑把型」です。平々凡々とやってこられたのも、お互い「職場」という居場所があったことが幸いしたのでしょう。

エンドレスの日々にも慣れて、今は『あきらめ愛』という関係にいます。自分にないものに魅せられて結婚 しちまった二人です。これからもプラス、マイナスの乾電池のごとく、相手を必要とする時に明かりをつけることにしましょう。

お猪口一杯のお酒に酔いしれながら、二人で思い出話しなんて幸せなことなんでしょうね。 (菊地佐和子)

春が来る!!

ついに後期高齢者の仲間入りをした。

雑誌に「おひとりさまの老後は無理して前向きにならなくていい。一日一日を機嫌よく過ごせばそれでいい」とある。それなら今でも出来ている。住み慣れた我が家で最後までひとし暮らしを選びたい。子どもはそれぞれ自分達の生活があるのだから。

年を重ねて下り坂になったら「プロの力を借りましょう」「期待する方もされる方も苦しくなるのは家族である」という。町内にも地域包括支援センターがある。漠然とした不安は「見える化」することで解消出来るようだ。先ずは資料、情報を集めて、知識を得て、少しずつ準備をして行こう。今は、ほどほどの気力体力は維持出来ている。

さあ、春が来る!! 庭にトマトやきゅうりを植えてかわいい花を咲かせたい。庭が私を待っている!!

あれ~ 裕次郎の歌みたいかな?!(笑) (ミニトマト)

「フィリピンでの体験記」

30歳代後半に趣味としてスキューバダイビングのライセンスを取得、このダイビングを覚えたことにより70歳位まで色んな海を楽しんだものである。予期せぬ出来事も多々あった。もう34年も前の事になる。

フィリピンの海へ行った時、マニラで民衆革命のクーデターに出遭ったことであろう。

昭和62年2月いつも一緒に海に潜っているメンバー15名程で10日間の日程でマニラに行く事に決定。ツアーで出発してフィリピン到着後マニラ港から小舟で30分程の小さな島のリゾート地である。ホテルは大きなプール付きのオーナー一族が営んでいる。TVも電話も無し、連絡手段は軍の無線しかないと言う。然しここの海は素晴らしかった。手つかずの大自然の海は飽きることのない眺めであった。大きなテーブル珊瑚、魚類の数も半端ではなかった。ただ外洋なので潮の流れが早くて私には二人のダイバーがサポートしてくれた。天候にも恵まれ2月22日このリゾート地を出発の朝の出来事である。

首都のマニラで何かがあったらしいとの一報に、何が起きているかも判らずマニラへ戻りバスで取りあえず市内のホテルへ直行、そこでツアー代表者からフィリピンのマルコス大統領と日系アキノさんとの民衆革命のクーデターがあり、マニア市内ではまだ内戦が続いていて空港も閉鎖されいつ帰国出来るか判らないとの現状を通告され、私達全員はとにかく不安でしかなかった。  (次号に続く) (福栄 眞理子)


絵手紙教室

(大西 孝子)

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