北国に桜前線近づいて
コート脱ぎ棄てマフラーブルーに
再びの別れとなりしこの頃
人恋ふ窓を打つ雨の音 (本田 征子)
古本の余白に残る過去の罪
悩みつつあきらめないを繰り返す
さりげなく心鏡が語り出す
ささやいた風がこころに浸みわたる
前向きで生きて歌える歌がある
悔いのない生き切る自分演じたい (浜 正吉)
松の芯天に湧き立つ雲の峰
新緑やダム湖に綺羅の影落とす (川口 昭治)
春になり
衣替えの
ついでにと
心の引き出し
入れ替える (田村 信子)
平成の世は
平にあらず
右傾
左傾
バランス崩し (菊地 佐和子)
「あなたなら」
先日、親類に不幸があった。長男のお嫁さんのお母さんが亡くなった。
九十歳を過ぎていたが、寝たきりではなかったらしい。いくつかの病気で横になっているのが多かったとの事だった。
息子からの知らせがあったが、翌日は友引なので一日後になるとの事でした。高齢の私は告別式だけでよいと息子は言う。私は「一度は伺わなければならないから告別式にする」と返事をした。
息子に貯金通帳を預けているので香典は任せると話した(親バカでオレオレ詐欺の心配しない)。
その後、息子から○万円用意したら周りの親族からそれは多いので、皆と揃えてほしいとの事で半分の○万円にしてもらった。「もうお金はおろしてあるので会った時に○万円わたすから」との事だった。それを周りの人達に、私の悪い癖で笑い話にした。何人かの人が長屋さんは育て方がよいのでそういう息子さんになったと言われて、お腹の中でホッとした。
僕なら、私なら、黙ってその半分をポケットにすると笑っていた。さてさて、皆さまはこの話を聞いてどう思われましたか? 告別式の日に確かに息子から○万円のお金を受け取りました。
このお金を有効につかわなくては、とバカな母親は考えているところです。
どこかへ寄付をする事も一案と思っています。 (長屋 英子)
北海道の円空仏
私が初めて円空仏に会ったのは、上ノ国郷土資料館の来迎観音像である。これ以降すっかり円空仏に惚れこんでしまい、機会あるごとに愛知・岐阜県を中心に円空仏拝観巡りを始める事となった。
円空は美濃国の生まれで、生涯に10万体を造仏したとされており、元禄8年(1695年)64歳で入寂している。蝦夷地には寛文6年(1666年)3月頃、津軽半島より松前に渡り、日本海岸を北上し、北桧山の利別川を登り長万部から有珠善光寺、豊浦小幌の洞窟を経由して、内浦湾を南下し恵山で冬を過ごしたと思われる。円空の来道の目的は、修験をしつつ、火山鎮火・山を鎮める、住民の救済にあったと思われる。
その後、寛文7年夏、下北半島に渡ると「松前町史」にある。
円空仏は全国で約4千6百体が現存し、北海道では44体が現存(全国4番目に多い)内38体が道南で造仏された。しかし、道内関係資料によるともっと多くの仏像が作成された事になっており、特に後半期間の道南の仏像はほとんど発見されていないので、まだまだ発見される余地があると思われる。
参考までに、某社番組の○○鑑定団では、20㎝ほどの初期の円空仏は鑑定額が二百万円であった(実家の仏壇・押し入れの奥を探してみよう)。 (元円空学会会員 沖野 孝)

(澤田 信子)