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3月 01

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「こんな夜更けにバナナかよ」を観て(2)

NPO法人シーズネット理事長 奥田 龍人

さて、自立生活を始めた鹿野さんですが、もちろん当初から並々ならぬ苦労がありました。一番の苦労は、映画にもあったようにボランティアを集めることです。

鹿野さんは、筋ジストロフィー(徐々に筋肉が壊れていく進行性の難病)に罹患していましたが、それでも、私が初めて会った頃はそれほど重い障害ではなく、若い頃はある程度自分でできることも多かったのです。しかし、進行性の難病ですから、徐々に体が病魔に蝕まれていき、自立生活を決意したころは、何をするにも介助が必要になっていました。特に大変なのは体位交換(鹿野さんは「タイコー」と訴えていました)です。寝返りが打てないのでずっと同じ姿勢を続けざるを得なく、これは本人にとってはとても苦しいことですし、また同じ姿勢を続けたままだと褥瘡(じょくそう:体重で圧迫されている場所の血流が悪くなったり滞ることで、皮膚に傷ができてしまうこと)ができるので、本人の訴えがあるときに、またはある程度の時間を見計らって寝返りをさせる必要があります。そのためには24時間ケアが出来る体制が必要になります。

鹿野さんが自立生活を始めた当時は、公的なヘルパー制度はあまり充実していませんでしたので、24時間ケアを行うにはボランティアの力がどうしても必要だったのです。また、鹿野さんは症状が進んで人工呼吸器を使用することとなりましたが、人工呼吸器を装着している方には、痰の吸引というケアが必要になります。痰の吸引(「サクション」ともいいます)は医療行為とみなされ、医師、看護師などの医療従事者、または家族のみが許される行為です(現在は、研修を受けた介護職員もできます)。でも、ボランティアに頼らざるを得ない鹿野さんは、ボランティアを「家族」と主張して、痰の吸引もボランティアにお願いしたのです。それにはやはりボランティアへの研修が必要になります。映画でもボランティアにサクションをさせるかどうかは、山場のシーンとして描かれていたところでした。

ボランティアを集めることと研修をすることを通して、鹿野さんは地域での自立生活を実現したのですが、この実践は医療的なケアを必要とする障害を持った方に大きな勇気を与えました。今では、多くの人工呼吸器をつけた障害者が地域での生活をするようになりました。

さて、会員の皆さんは、こうした鹿野さんの実践を見て「どうしてそんなに苦労してまで地域で暮らそうとするのか」「なぜ設備の整った施設で暮らさないのか」という疑問がわきませんか?この疑問こそが、障害者と健常者を分け隔てる大きな壁としてあったのです。障害を持っていても持っていなくてもあたりまえに地域で暮らして行けるという社会を想像してみてほしいのです。同様に、認知症になっても地域で安心して暮らせる社会、様々な生きづらさを抱えていても社会の一員として認められる社会は、多分その延長線上にあるのだと思います。そんなことを振り返る映画であり、私の仕事の原点を見直す映画であったので紹介させていただきました。

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