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8月 01

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人間関係の筋力

NPO法人シーズネット理事長 奥田 龍人

コロナ禍で、サークルやサロンなどが軒並み閉鎖せざるを得なくなって、もう3年目です。この頃はコロナ感染も落ち着きつつあり、一部のサークルは活動を再開していますが。でも、それらのサークルも以前より集まりが悪いと聞きました。それを聞いて思い出すのが、タクシーの運転手をしている友人との会話です。タクシーではススキノへ行く人、帰る人が大きな稼ぎのチャンスらしいのですが、コロナ禍以降シニアのススキノ利用客が激減したとのことでした。若者はあまりタクシーに乗らないので、シニア層が出不精になっているために売り上げが回復しないそうです。

それを聞いてわが身ながら思い当たることがあります。ケアマネという職業柄、コロナ禍以降は外での飲食はほとんど控えておりますが、先日、お世話になっている人の誘いで久々にススキノに出ることにしました。断り切れない関係だったので仕方なく行くことにしたのですが、その時の気持ちが「面倒くさいなあ」というものです。コロナ禍以前は嬉々として行っていた会合です。しかし、コロナ禍以降は自宅での晩酌が唯一の息抜きとなっている自分がいて、そのルーチンを破って会食するのがとても面倒くさいと感じてしまうのです。同様に、仕事の打ち合わせなどもオンライン会議に慣れてしまい、集合して行うということに抵抗を感じるようになりました。オンライン会議は、職場や自宅で参加できるのですから、行く手間が面倒くさいと感じてしまうのです。でも一方では、オンラインでは感じ取れない人間関係の機微やふれあいなどを求めている自分もいます。

そんな折、生活クラブの機関誌「生活と自治」7月号の田口ランディさんのコラムが目に留まり、やはりみなそうなんだなあ、と思いました。田口さんはこう語っています。「年をとればとるほど「めんどうくさい」が増えている。情けないが思ってしまうのだからどうしようもない。ハタと、気づくと「めんどうくさいなあ」とうんざりしている。(中略)最近どうも「人の世話」より「自分の世話」と思うのは、気力体力が落ちたせいだろうか。何かにつけて手がかかることは「めんどうくさい」のだ。そういう自分が情けなく淋しいが他人の都合に合わせていると疲れてぐったりとしてしまう。(中略)あの世から母の声が聞こえる。「この罰当たりが!」と。そうなんだよね。人はひとりで生きるに非ず、助け合っての人生なのに。コロナで低下したのは足腰の筋力だけではない。人間関係の筋力もげっそり落ちた。これは相当なリハビリが必要だな。」

私たちもコロナ禍で、足腰の筋力はもとより、人間関係の筋力が落ちまくっているのでしょう。田口さんの言うとおり相当なリハビリが必要なようです。そのリハビリをシーズネットがどのように提供できるのか。サークルの再開、サロンの充実はもとより、脳活塾のような教室系の取り組みも有効かと思い、もっとバラエティ豊かな教室を増やせないかと模索しております。

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