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8月 01

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会員の広場(2018.8)

短 歌
誰れかれに己れを語らず逝きし母
その六十年を我は語りぬ
生きて生きて身にかなしみの解け
ゆくを待ちて深紅のバラになりたし(本田 征子)
川 柳
外へ出る歩けば見える人景色
年寄りと意識しないで胸を張る
動くこと夏バテ防ぎ汗もかく(ホヤ レイ)

知らぜさる海馬が縮む脳回路
歳月の力を借りて生き直す
昭和史の女と味噌汁人を恋う
古き良き昭和懐メロよく喋る(浜 正吉)

俳 句
爽籟や藍の深まる街の川    
今日の秋背丈とどかぬ薬箱(川口 昭治)
五行歌
金子みすずの童謡詩 
深い思いが悲しく映る
でもその詩を読む人は
やさしい心を取り戻す
見えぬものを思い出す(塚下健太郎)

この葉の陰
でんでん虫が
ながーくのびをして水浴び
雨はひんやりと                 
縮こまった体に生気を与える(菅 妙子)

エッセイ

小 樽 雑 感

 小樽で物心ついた頃に感じた強い印象は、匂いだった。町の路地裏で焼くニシンの匂い、近くの水産加工場干す魚のにおい、鉄窯で煮詰める魚の匂い、汲み取り馬車の匂い、中学校のプールのカルキの匂い、様々なにおいが、その時代、その場面を思い出すたびによみがえるのである。

 当時の小樽は、まぎれもなく商人の町だった。正月の初荷はとっても盛んだった。買い物には、必ず景品がついたので、進んで買い物を頼まれた。当時は、市内に映画館が、20館もあって正月はいつも満員だった。そんな賑わいもいつの頃からか失って、さびれた町となっていった。
 大きな核となる産業のない街の宿命だった。人口は減り大手は、札幌に支店を移し、街は静まり返った。
ある時期、小樽は、観光客も、足をむけないさびれた町になった。

 高校生になると、そんな街も、人間関係もがとにかく嫌だった。この街をできるだけ早く出ていこう。いつもそんなことを考える日々だった。念願かなって、そののち脱出できたが、どこへ行っても大同小異で、多少は自分のわがままだったことを、のちのちに認識した。その後小樽運河論争がきっかけとなり、いくらか日が差し始めてきているのは、ご承知の通りである。

 今、私は、札幌に住んでいて、小樽への郷愁に思いを馳せている。あれから半世紀、あれだけ嫌だった街がそばにあるだけで、親しみが湧いてくる。 この変化は、何だろう?これだけは言えるのは、今の観光の町小樽ではなく、観光客が徘徊しない、裏町、細い路地、古民家、古い建築物、廃墟となった建築物、などが、私を和ませる。
 将来に向けて、このままの小樽ではいけない。けばけばしい看板が多すぎ観光客に迎合しすぎである。小樽の主張は、いったい何だろうか?もう一度考える余地がありそうである(小林 貴光)

コラム

森づくり~下草刈りボランティア

7月4日大通り公園9時出発し、野幌森林公園の「シーズネットの森」で下草刈りを楽しみました。
心がけがいい方17名でしたので雨にもあたらず、しかしむし暑い一日でした。
一仕事終えての野外でのお弁当は美味しかった!!
帰りは町村農場を見学してモーと牛の勉強会をして、野菜の駅ふれあいファームしのつで新鮮野菜ゲットしました。
ご参加ご協力ありがとうございました。

つくり笑顔

 平昌オリンピック、カーリング女子が話題になりました。マリリンを含めた5人の笑顔がいやはや何ともいえませんでしたね。でも後で聞くと、意識して笑顔でいたそうです。

 みなさん、『つくり笑顔でいると楽しくなる』ということをご存知ですか?人間はおかしいと、「わっはっはっ」と笑うわけですが、脳はその時の顔の表情を覚えていて、『つくり笑顔』をすると、「今、この人は楽しいんだ」と感知して楽しくさせるホルモンを出すのです。ストレス対処法の1つに『つくり笑顔』があります。写真を撮る時に、チーズといってポーズをとりますが、日本人はそのポーズのとり方が下手だといわれます。笑わなくてもいいのです。口の両端の口角を上げればいいのです。じゃあ、口角を上げるにはどうしたらいいかというと、ストローを横にくわえる動作が口角をあげていることになります。それだけでいいのです。わざわざ目じりまで下げて、笑うことはないのです。ぜひ鏡の前でやってみてください。

 私たちは笑顔でいる人をみていると、自分も楽しくなるものです。『つくり笑顔』を意識しましょう。周りの人のあなたへの接し方が変わります。人生が楽しくなりますよ。 (桜井幸司)

絵手紙

(澤田 信子)

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