「諸法無我」について~ある高僧の説明から~
この歳になってやっと仏教の教えの中心ともいえるお言葉の意味がぼんやり理解できるようになりました。それは仏教の教えの真髄ともいえる次の言葉です。
- 諸行無常
- 諸法無我
この言葉で、1,の意味は「すべての物事は一定ではなく、常に時々刻々変化する」ということは、私たちの多くの体験を通して容易に理解できました。しかし2,の意味、特に「無我」の意味が分からず、私は永らく頭の中でモヤモヤしてきました。そのことが最近入手した或る高僧(鎌倉の円覚寺管長で花園大学総長の横田南嶺先生の著書「自分を創る禅の教」致知出版社) の解説により何んとなくぼんやりですが理解に近づけたようです。そこで紹介いたします。
ここで「無我」とは「我一人ではない」と解すべきだそうです。すなわち、この世の自分に関係する出来事はどんなことでも自分一人で出来たものはなく、必ず誰かの協力があってはじめて完成できたと思うべきです。このように考えで心静かに反省することの大切さを諭された言葉であり、この世で何事につけても俺がおれがと強調するのではなく、静かに反省することの大切さを教えられたお言葉と考えるべきですね。するとこの世が明るくなります。 (理事長 村田 忠)